精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【英文読書ルーティン日記250】"When to rob a bank"再読感想ブログ35 ~終わりに臨んで~

前の日記に、自分で書いたことが、今でも強く心の中で揺れている。「経済学者とは、なるべくしてなっている」というものだ。

 

子供のような好奇心と俯瞰した視点を持ち、感情や物語による脚色を嫌い、データと観察によって本当の答えを探しに行く。それを大事にする。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

これらはやはり、後天的な能力ではない。先天的に持っていながら、大体はどこかで「大人になる」とか何とかで折り合いをつけて、捨ててゆくスキルなのだ。

 

そういうのを考えても、適当に選んだ経済学部という進路が、僕にとって重要な意味を帯びつつあるのを感じる。

 

その実際はどうなのか。この本を読みながら、過去の選択を振り返りたいなと思う。

 

 

9月29日(月) 最期と向き合う。

 

著者の妹は、癌で既に他界しているという。健康な50歳だったはずが、みるみる内に衰弱した……という。

 

弱り行く人を見守ること。僕も経験が無いわけではないが、あれほど文字通り、胸を引き裂かれる時間はない。

 

現代医療の、己の、運命の、その辺の無力さを呪うだけ呪い、それが済んだら後は寄り添う。

 

祖父も飼い犬もそんな風に見守られながら息を引き取った。その報せは本当に僕を安堵させた。

 

僕も気付けば34歳だ。まだ若いとは思うが、思ったほど若くもない気がしている。

 

次は誰を看取るのか、ではなく、次が自分という可能性も否定できない。そうなったら僕は、何を考え、何をするのだろう。

 

9月30日(火) 続・最期と向き合う。

 

著者の妹の壮絶な病態は、まだ続く。腫瘍は見る見るうちに転移し、肺を侵し、その呼吸は細く浅く、息も絶え絶えという状態になっていったそうだ。

 

このときの精神状態は本当にギリギリで、「誰かが私に、妹さんの様子はどう?と尋ねようものなら、その刹那に私はくずおれて号泣しただろう」というほどだった。

 

集中治療室への移送、特別なケアの開始、それでいて妹に絶望を与えないよう励まし続け、自分は気丈に振舞う。

 

非日常ともいえる精神状態の連続…。聞いていて本当に、胸が詰まる思いである。

 

10月1日(水) 終・最期と向き合う。

 

著者の妹の、壮絶な闘病は20日余りで終わりを告げた。腫瘍の大きさは倍以上にもなり、脳・肺を侵し、身体の機能を次々と奪っていく。

 

そして最期はモルヒネの投与により昏睡状態に至り、そのままゆっくりと息を引き取って、臨終となったそうだ。

 

例えば、氷を求められても、それをあげることは医療行為に該当するためできないといった、医療特有の規則のもどかしさに苛まれるなど、思うことは色々とあったそうだ。

 

辛い日々を終えた後、著者と、著者の父は、何を思ったのだろうか。

 

10月2日(木) 最期を思う。

 

この壮絶な章を読んで、いずれ訪れる死別の刻を考えた。これは僕がそうなる以前の、例えば肉親のそれだ。

 

最近僕の叔母が癌で急逝した。これは僕にとって急逝に聞こえただけで、実際はもっと長いこと、闘病生活を送っていた可能性はある。

 

そして僕の祖母-叔母から見れば母親-は健在だ。生みの子に先立たれることは、どれほど心に深手を負わせたか、想像するだけで胸が本当に苦しくなる。

 

嫌な言い方だが、順当に行けば僕は祖母を看取り、両親を看取ることになる。そして僕を大黒柱とした家族は持つつもりがない以上、僕は身寄りなく死んでいく気がする。

 

そういう終わりはいいのか悪いのか。正直体感として、「まぁ、望むところだわな」という感覚が拭えない。

 

10月3日(金) 薄命でありたいか?

 

美人薄命という言葉がある。乱暴に言えば、天賦の才と魅力に富む人ほど寿命が短いという意味だ。

 

これは辛く悲しい言葉に他ならないのだろうか。僕はなんというか、色んな感想を持ってしまう。

 

薄命とは確かに辛い話だが、良いところだけ、美しいところだけ生き抜いて散るという構図は、どこか神々しくもある。

 

僕みたく恥を晒し続ける自覚のある生き方は、続けば続くほどただただ恥辱ではあるだけに、だ。

 

早世すれば伝説になり、天寿を全うすれば、色々な語られ方をする余白を残す。どちらの方が良いのだろうか。そもそも正解なんて無い気がするが。

 

10月4日(土) 倫理ところかわれば。

 

中国独自の論理・倫理はよく、ショート動画などにだいぶ歪められてアップされている気がする。

 

とはいえ、筆者もなかなか理解しがたい出来事に中国にて遭遇したらしく、実際とあるスーパーで熱心に、販促活動をされたという。

 

根負けして商品を買ったそうだが、その販売員はなんと、その店の人では無いのだという。

 

もとい、その店のプライベートブランドを買わせないために派遣された、ライバル店からの差し金なのだという。

 

コスモスのブランドを買わせないために、ドラッグストアモリの店員を派遣して、勝手に試食会か何かをする感じだろうか?なかなかにすごい文化だと感じる。

 

10月5日(日) 客寄せ・・?

 

アニメ映画にはほぼ例外なく、著名人かアスリートの出演がある。演技力ではない何かを期待されて。

 

それがなんなのかは言われてみればなかなかに謎なのだが、多分宣伝の一環なのではと思う。

 

面白そうだ、にプラスして、あの人も出るんだと思わせられれば、確かにウリにはなるだろう。

 

そこに一石を投じたいという声優さんの方もいたが、二十年くらい経ってもこのルールはそのままだ。

 

どちらの言い分の方が正しいか、僕には判断つきかねる。そこまで入れ込むほどの関心が無いので……

 

では今日はこの辺で。

 

 

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村 にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村 ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村