「あなたは書かなければ救われないでしょう」という言葉がある。これは幻冬舎の編集者・見城徹氏が、作家に向けて放つキラーワードとして知られている。
誇張でも何でもなく、僕にとって、この言葉は真実である。人生を通して、書くこと・言葉にすることが、常に自分を救ってくれていたと感じている。
実際、人生の要所要所で訪れた苦しい日々を振り返り、どうやってそれを切り抜けたかを考えると、そのことにすぐ思い至る。
友人からの支えなどももちろんあったが、やはりそのときの胸の内を、正面から観察して言葉することが、僕にとっての一番の救いだったように思うのだ。
今日はそんな、僕と”書くこと”の歴史を、時系列で振り返ってみようと思う。何かヒントになることがあれば、嬉しいと思うが、正直それを度外視したただの思い出話だ。
では以下、本題である。
小学校の卒業文集執筆で気付いた、僕の適正。
書くことに精力的に取り組んだ最初の記憶は、小学校6年生のときの卒業文集だ。内容としては、1年生から6年生までの思い出を自由に書こう、というものだった。
唯一の制限は、原稿用紙10枚以内に収めるということだったが、あくまでもそれは任意だった。つまり、書いた結果超えるようなら、それはそれでOKだったのだ。
実際、「6年間の思い出を原稿用紙10枚程度でまとめられるはずがない」と思っていたので、上限の存在など綺麗に忘れ、思いつくままにひたすら書き続けた。
とはいえ最終的には時間が足りず、5・6年生の思い出部分を圧縮し、無理やり終わらせた記憶がある。振り返れば、原稿用紙20枚ほどは書いた手応えを覚えている。
内容が読むに値するものだったかどうかは全く覚えていないし、そもそも原本がまだ保管されているかもわからない。
だが、この没我を通じて得た、「書くことは楽しく、夢中になれる」という実感は、今も確かに残っている。
中学〜高校は、”字”のコンプレックスを学んだ時期。
しかし中学・高校の頃となると、あれだけ好きだった書くことが、日増しに嫌いになっていった。理由は単純だが2つある。まず、字が汚かったからだ。
僕は手書きの文字にクセがあり、端的に言えば読みづらい、乱雑な筆記をしてしまうのだ。尚、これは家族ほぼ全員そうなので、遺伝と言えばそうなるのだろうか。
それもあって、内容はさておき「でも字が汚い」とか、正解しても「でも字が汚い」と異口同音に言われ続け、それが積み重なり、段々書くことが嫌になっていったのだ。
もう一つの理由は、タイピングを覚えたことだ。そもそも論、手書きは出力が非常に遅い。手書きで漢字を1つ書く間に、パソコンなら5文字は打てる。
そんな効率の良いツールに出会えたことは非常に大きかった。それに感動した当時の僕は、タイピングソフトを使ってなるべく【型】通りのそれを練習し、やがて習得した。
書き出すのは遅いだけじゃなく、書いた文字も馬鹿にされる。そういうこともあって、中学・高校の頃はテストの回答と宿題以外で、文字を書くこと自体が縁遠くなった。
受験などで忙しかったのもあり、この多感な時期の思い出や感性は、ほとんど文章として残っていない。あるのは、塾の合宿の感想文くらいだ。すごく勿体なく思う。
大学〜20代:書くことが日常になった頃。
転機は大学入学後に訪れた。部活の人たちに、当時流行していたSNS「mixi」に招待され、そこで「人に見せる用の日記」という文化を知ったのだ。
先輩方の日記は読んでいて面白く、自分の創作意欲も膨らんでいった。電車を待つ空き時間などができると、携帯を取り出し、ポチポチと僕も日記を書くようになったのだ。
振り返ると100件以上も投稿しており、改めて僕は書くことが好きなのだと改めて思う。何より10年以上前の自分の言葉に時を超えて触れられるとは、稀有な経験である。
時折過去の自分の文章を読むと、「こんなこともあった!」という想起もそうだが、「価値観はこの頃から変わっていない」といった発見が多々あり、じんわりと嬉しくなる。
そして大学を卒業し、社会人になって1~2年経ってからは、本格的にブログを始め、書くことが完全に日常化した。仕事のためではなく、ただ好きだから書いている。
現在も毎日2つのブログを更新し、1日2,000〜3,000文字程度のアウトプットを続けている。書くことはもはや生活の一部であり、呼吸のようなものになった。
そして、今に至っているのである。こうしてみれば人生は一筆書きで引けているのだから、何とも面白い話だなと思えて仕方がない。
終わりに:書くことはなぜ、救いをもたらすか?
書くことが救いになる理由はなにか。これは逆説的だが、僕が「苦手だ」「嫌だ」と感じるものは、ほとんどが言語化できておらず、だから苦しいためだと思っている。
以前書いたブログでも触れたが、何年も悩んでいた「休日の過ごし方」に決着をつけられたのは、「休日の予定を"書き出してみる"」というただ一つの行動だった。
つまり僕にとって「書くこと」は、必要不可欠な生存行為に近い。マグロが泳がないと呼吸できないように、僕も書かないと精神の循環が止まってしまう。
これはもはや特別な才能ではなく、僕という人間の生態である。ポジティブでもネガティブでもなく、ただそういうセンスを持って生まれただけなのだと受け止めている。
では今日はこの辺で。