精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

友達がほとんどいなくなった今思うこと。

最近本当にふと気づいて、一瞬だけ血の気が引いたことがある。気づかぬうちに、友達がめっちゃ減っていたのだ。

 

「絶交」という宣言をされたわけではないのだが、気づけば2年、3年、下手すれば10年近く会っていない人が8割以上のLINEグループも存在している

 

今年、友人と客観的に呼べる間柄の人と、何人・何日出会っただろうか。指折り数えて少し震えたが、いずれも10に届かなかった

 

元々友達が多い方ではないし、ここまで減るまで気づかなかったということは、べたべたした馴れ合いに興味が無いことの証拠でもあるのだが‥

 

これは孤独ということか?色々とマズいということになるのではないか?さすがにそういう焦りが生まれてきた

 

だがある程度冷静になって見つめ直すと、また違った感想が立ち上ってきた。今日はそれを、「ついに自分の人生にも訪れたか」と達観しつつ、書いてみたい。

 

 

スタンダードを超越した存在へ。

 

不思議なもので、合わなくなって久しい縁故の人たちを思い起こしてみると、”今”会いたい、話を聞きたいという思いを抱く人は、一人もいない

 

なんとなくズルズルと、それこそLINEが繋がっているから、Facebook(Meta)で友達だからという感じで、緩い関係性を細々と続けてきていただけ、という感じだろう。

 

恐らく彼ら彼女らも、その人生に少なくとも”現在は”、僕を必要をしていないことだと思う。人生のステージが、ただの摂理としてズレたというだけなのだと納得する。

 

例えば、ある友人は職を得て東京に引っ越して以来、縁が遠くなった。彼とは大学生の頃、週8回は会っていたのに、だ。

 

そんな彼は、数年ぶりに再会した際、東京の街で公務員をしつつ、結婚し、娘が生まれ、マンションを買ったという話を嬉々としてしてくれた。

 

重松清の「南小、フォーエバー」の一節みたいだが、彼の居場所は、僕の居る場所と、もはや重なっていないんだなということがその時分かった。

 

そこにあるのは寂しさというより、「あー、来るべき時が来たか」という納得だ。僕は結果として清算してしまった関係性一つ一つに、そんな感想を覚える。

 

あの頃の僕は、「僕」というより、「一介の大学生」に過ぎなかった。だから馬が合ったのだと思う。そして時と環境が、僕らのスタンダードを急激に狭めたのだろう。

 

スタンダードを超越した存在・間柄を求めたり、求められたりとなれば、その領域はとてつもなく狭くなるというのは、やはり自明のことに思えてならないのである。

 

僕には「腐れ縁」が一人いればいい。

www.youtube.com

 

年始にコロナでダウンして以来、「ラランド」という男女コンビのYouTubeをほぼ毎日視聴している。面白いという感想が7割、羨望が3割だ。

 

その羨望とは、注目を浴びていることに対してでもなければ、二人が卓抜したユーモアセンスを持っていることに対してでもない。その間柄に対してだ

 

ただの親友でもなければ、単なるビジネスパートナーでもない。相方あるいは腐れ縁とでも呼ぶしかないその関係性を、僕はもはや渇望していると言ってもいい。

 

僕は、たくさんの友達は、やはり要らない。その維持コストを考えたら、やはりそう思う。だが、僕に似た感性を持つ、もはや腐れ縁という関係性は、とても羨ましい

 

腐れ縁という定義がしっくりこないなら、例えば「共犯」「親友」「相棒」の呼称のどれでもいい。どこまでも穏やかで、安定し、安堵も覚えるが、やはり特別性も抱く。

 

普通それは「恋人」に求めるものなのだろうが、僕は異性とかなんだとか、とにかく「性」ありきの絆は猛烈に忌避するタイプなので、上記のように表現しておく。

 

具体的に言うなら、ピザを食いたくなったときに半分食べてくれる人を、旅行に行きたくなったらとりあえず呼べる人を、僕はずっと渇望している。

 

人生におけるモラトリアムの時期であれば、誰しもが誰しもの腐れ縁だったと思えるのだが、ある程度年を食って、時間経過による淘汰が起こると、それは稀有な絆になる

 

友達がほとんどいなくなった今思うこと。実は腐れ縁って、とても貴重で尊いんだなという、この諦観である。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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