今日は愚痴というか、自分への不満めいた話をしておきたい。つくづく思うが、僕はいつも、人生において何が大切なのか、気づくのが遅くて嫌になるときがある。
僕は人生の時々において、「世間的にいい」とされることを追い求めたり、逆に自分の内側の声に従って動いたりと、都度価値観をコロコロ変えつつ生きてきた。
結果的に、それが良い方向に作用することもあれば、悪い方向に転ぶことも、もちろんある。(どちらかと言えば、悪い方向に転んでいたと分かることの方が多い)
ただ、そのフラグ回収には不思議なほどに一定した周期的なパターンがある。「その時やっていたことの是非」が判るまで、大体4〜5年かかるのだ。
結果、もはや修正負荷の段階で致命的なバグに気づくこともあるし、また不毛なまま数年過ごした挙句「やっぱ要らん」と気づくこともある。どちらも等しく無駄なものだ。
今回もそう感じる、ある出来事があったのだが、今日はそれを書く前に過去を振り返ってから、記事としてまとめたいと思う。
社会的評価に乗っかってみた青春期。
18歳から22歳、つまり大学時代の僕は、「彼女がいない=社会的にまずい」という謎の思い込みに囚われていた。
その状態を打破すべく「ならば社会的な魅力を高めなければ」と思い、ファッションを勉強したり、体を鍛えたり、TOEICなどの資格を取ってみたりした。
しかし、今振り返ると、結果は散々だった。その期間を経て僕が得たものは、多少のファッションの知見とTOEICの点数、ある程度引き締まった肉体と無数の擦過傷だ。
そして26歳頃にようやく気づいたのは、恋愛というゲームは、そもそも“参加資格”そのものが非常に高い水準の人たちに”限られている”ということだった。
端的に言えば、卓越したコミュニケーション能力か、あるいは偏差値60以上の顔面の良さがないと、スタートラインにすら立てない。つまり、僕は眼中にない存在なのだ。
「だったら、あの4年間、黙って力を蓄えておけばよかった」と今でも思う。いい仕事に就いて、高い給料が貰えるようになれば、別の土俵から逆転を狙えるからだ。
それを思えば、当時は本当に、無駄な資本を使っていたと思う。例えばあそこで発散させたアレコレを転用していれば、簿記2級くらい取れたんじゃないか、とさえ思う。
さて。そういう納得を経て、ようやく「そもそも自分は恋愛というゲームでは幸福になれない」と本質的に理解し、完全にそのステージから降りたのが、20代後半だ。
ちょうどその頃、友人たちが次々に結婚し始め、「自分の覚悟を試されている」ような気分にもなったが、揺らぐことはなかった。
弟や友人に子どもができても、なおブレなかった。その確信を積み重ねていくうちに、「一人であり続けることが、自分にとって正しい」と、完全に納得するに至ったのだ。
ここへきてようやく僕は、”絶対的な”、僕の人生の正解を引き当てることができた…のだろうか?
思った以上に孤独になっていった30代中盤の今。
僕は34歳になったところなのだが、去年あたりからふと気づいたことがある。友達がいなくなってきたのだ。正確に言えば、僕と同じ“レイヤー”にいる人たちが減ってきた。
みんな転勤したり、誰かの夫になったり、誰かの父親になったり、人生のフェーズが大きく様変わりしている。それを経ると、当然僕に構える時間など、なくなっていく。
それは自然なことだし、人生の段階が違う以上、彼らが僕と関わらなくなるのはそれもまた、正しい。ただ、不思議と、寂しさよりも「物足りなさ」を感じるようになった。
「どこそこに行きたい」「あれを一緒にやりたい」という気持ちは湧くのに、それを実行する相手がいない。つまり、今の僕には「相方」と呼べる存在がいない。
それを痛感したのは、つい最近のことだ。僕が孤独を望んで選んだ結果、思った以上に”独り”になっていた、という感じが近い。これはこれで、意外だった。
ではなぜ、そこに至ることになったのか。単純に、交流関係を整理こそすれ、新しくもマッチしたそれを構築するという先行投資を完全に怠っていたからである。
思えば20代後半からうすうす思っていたのだが、僕にとって一番ちょうどいい間柄とは、互いに性的魅力を覚えない、腐れ縁のような間柄の異性だと思っている。
男女お笑いコンビのYouTubeを観ていても、どこか羨望を覚える自分が居る。そんな人を探してみる努力をあの時していれば、今とは違った未来を引いていたのだろうか。
そう思うことが、少しだけある。・・・こうして振り返ると、僕は「そのときは正しいと思っていたこと」が、数年後に「悪手だった」と気づく経験を、多くしているようだ。
ただ逆に、「あのときの判断は正しかった」と後から思うこともある。こちらの方が少ないのだが、ゼロではないのはそれだけで大きな救いだと思っている。
つまり、年を重ねるほどに、発見は増える。生きれば生きるほど、良くも悪くも伏線回収が進む。
若い頃は、「先見の明」が欲しいと思っていた。だが今はむしろ、些細なことでも「まぁ、これも正解か」と思えるくらいの“ゆるさ”が足りないのかもしれない。
ということで、今日はこの辺で。