「子供らしい」とは何か。自分の思う通りにならないと癇癪を起すことと言った風に、ネガティブな意味だと思われるだろうか。もしそうならそれは、「幼稚」と表すだろう。
「子供らしい」とは、どこか微笑ましい意味が乗っているのは認めるが、かといって、過度にポジティブな意味が乗っているとも思わない。
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自分の興味が向く対象を発見したら、理由や背景、仮説を考えずにはいられないというのもそうだろう。好奇心がすぐ沸点に達し、またすぐ冷めるというのもそうだろう。
ところで、真の経済学者は、身に着けた道具をフル活用し、世界をバイアスなく観察することに悦びを覚えるという。その気持ちは、僕も多少なりとも共感できる。
子供らしさを突き詰めたら、経済学者になれるのだろうか。いささか暴論だが、遠からず近からずという感じがする。
それを確かめるべく、以下今週も、つらつらと読んでいこう。
- 10月6日(月) 腐肉は誤魔化せない。
- 10月7日(火) ナメられることに敏感であれ。
- 10月8日(水) チェーンメールを論破する。
- 10月9日(木) 論破というより・・・・・・・
- 10月10日(金) パイレーツ・エコノミクス。
- 10月11日(土) パフォーマンスという割り切り。
- 10月12日(日) 「合理」とはなにか?
10月6日(月) 腐肉は誤魔化せない。

あるレストランにて、筆者はあわや、腐肉を食わされるところだったという。噛んだ瞬間強烈な腐臭が口腔内に広がり、その悪臭は目の前の友人にも届いたという。
大慌てで店員が飛んできて、謝罪をし、デザートやコーヒーのサービスを申し出たというが、腐肉による精神的ダメージで、何を口にする気も起きなかったそうだ。
実を言うと、においは香草などで結構誤魔化せるし、表層だけでも加熱すれば、一件美味しそうな見た目を演出はできる。だがその実際は、絶対に誤魔化せない。
一度腐ってしまえば、側を取り繕っても絶対にバレる。なんというか、人生訓として非常に大事なメタファーになっている気がする。
10月7日(火) ナメられることに敏感であれ。

メンツにどこまで意地を張るか。ここは男の矜持といった、いわばウェットな部分として語られがちだが、実際はもっと実践心理術の類に近い。
ナメられれば不利な条件を当たり前のように飲まされる、軽んじられてしまうなど、不利益が非常に多い。個人のそれなら自己責任だが、組織をそう思われたらオシマイだ。
だから、相手がナメてきたら、毅然として拒否するなどの芯の強さが必須になる。筆者もまた、面と向かったトラブルでそれを感じ、きちんとやり返したそうだ。
腐ったチキンを出しながら、デザートはタダにするが料金は取る。・・という店だと実名で晒したのだ。その是非はさておき、それくらいの構えは要るよなと、確かに思う。
10月8日(水) チェーンメールを論破する。

筆者のもとに、あるチェーンメールが届いたという。端的に言えば、「9月1日はみんなでガソリンを買わず、暴利をむさぼる石油会社に一泡吹かせよう!」という旨だ。
それによって地球環境を保護でき、石油会社は値下げを余儀なくされ、いいこと尽くめ、だからこのメールをできるだけたくさんの人に転送するように・・と続く。
これに対して筆者はどうしたか。経済学的な観点・フレームワークを使い、段落ごとに論破するような痛快なことを書いていた。
それはまた、明日の楽しみにしたいと思う。
10月9日(木) 論破というより・・・・・・・

そもそも、たとえガソリンを1日買わなくても、翌日倍買われるだけだし、また、ガソリンは国内外でも消費される。
つまり、1日だけ運動をしたところで、より広い目で考えると、意味の無いことがよくわかる。だがこれがわからない人は、多分ヒスを出す。
たまたまだが、とある芸能人の女性は、常識を欠いた人、メンヘラの人、浅薄な人、そして理解できないことがあると、反射的に怒る人を避けると言っていた。
もしこの手の話を聞くと、「理屈っぽいw」とか言う人がいたら、僕にとって、多分一緒にいてとてつもなくつまらない。
図らずとも交遊関係がかなりスリムになってしまった今、こういうラインを考えておくのも悪くないかもしれない。
10月10日(金) パイレーツ・エコノミクス。

現代の海賊について、経済学の観点から調べた人がいるらしい。その人曰く、海賊は海賊なりの規範を持って、一つの民主主義社会を形成しているそうだ。
ワンピースの黒ひげ海賊団がイメージとしてぴったりなのだが、基本的には下克上の社会である。だからこそ、上を無能と判断したら、割と頻繁に下が反乱を起こす。
それもあって、個々の戦闘力、統率力は勿論、分け前・規律などの制定と徹底においても、「リーダー」としての威厳を示せないものは、頭など張れないのだ。
なにかに似ていると思ったが、これはヤクザの組織図とほぼ同じである。強いて言うなら、極道の方が、親のために子が死ぬのが普通になっているということ、くらいか。
いわゆるワルの社会は民主的なものである。これはなかなか面白い指摘だと、僕は感じている。
10月11日(土) パフォーマンスという割り切り。

野蛮な海賊と言うと、船から張り出した板の上を罪人に歩かせて、後ろから蹴落としてサメに食わせるといった場面が浮かびがちだ。実際、あったのかもしれない。
だが実態としては、めったに行われないというか、そもそも廃止されて久しいものもあるという。しかしながらそういう噂は、消さずに残しておく方がベターなのだそうだ。
なぜならそういう”恐怖・暴力”といったイメージがある方が、例えば敵が戦わずに降伏するといった恩恵を得られる可能性が高いからである。
無条件降伏は、一切の持ち出しなく相手を御せるという意味では最善のシナリオだ。だからこぞって、むしろ畏怖の対象になり得る伝説は残すのだ。
それこそが海賊にとって一番のインセンティブたりうる。なるほど、と思わされる。
10月12日(日) 「合理」とはなにか?

ここでふと気になって、「合理」という言葉について辞書を引いてみた。すると以下の通りの説明がそうなのだと判った。
道理にかない正当であること。論理の法則にかなっていること。
ちなみに道理とは、「正しい筋道・筋が通っているさま・道徳的な正しさ・納得できる因果関係など」ということらしい。
筋が通っていて、納得感が強い。それが合理的ということならば、コミュニティの数だけそれがあっても、確かに不思議ではないと僕は感じた。
下手を打てば、海賊はサメの餌になり、極道は指を詰める。それ自体は堅気からすればとんでもない話に他ならないが、彼らの世界ではそれこそが道理なのだ。
答えは無数にある。そう捉え直すと、世界をより俯瞰で見えるような気がしてきた。
では今日はこの辺で。