今日は、「汝自身を知れ」という言葉に、改めて衝撃を受けた話を記しておきたい。きっかけは、YouTubeのアルゴリズムが薦めてきた一本の動画だった。
それは「三島由紀夫の名言」を紹介する動画で、「本当の自分を見つける方法」といったテーマを、(多分)AIが、本人の声で再現したものだ。
最初に聞いたときは、本人の肉声だと錯覚したほど完成度が高かったが、語られていた内容はおそらく実際の三島の言葉であり、その核心には深い示唆があった。
彼は、自己理解や自己受容に関する問いを語る中で、古代ギリシャの言葉「汝自身を知れ」を引用していた。知ってはいた言葉だが、僕の理解はとても、浅かった。
「私たちは自分のことを理解していると思い込んでいるが、実際には驚くほど知らない。まずは自分を徹底的に内省することからすべてが始まる」
そんな風に語る部分が、特に印象に残った。そしてその後の話は、さらに迫力を増し、聴いているうちに息を呑むような感覚を覚えた。
以後、それを基にした内容をつらつらと書いてみよう。
常に問い続け、答え続ける。
例えば、自分は何をしているときに心地よさを感じ、何をしているときにつらいと感じるのか。最後に悲しいと思った際、それは何に対して感じたのか。
なぜふと、怒りが湧いたのか。なぜ今、通りすがりの人に、一瞬意識が向いたのか。どんな場所に安らぎを覚えるのか。それは環境の問題なのか、人間関係の問題なのか。
自分は何に憤り、何を守りたいと思っているのか。この世における何を許せないと思っているのか。人が許せないと言っているのに自分が平気なものは何か。
こうした一つひとつの問いに対して、複合的かつ冷静に、自問自答とそれによる自己観察を重ねていく。
その過程を経た後でのみ、「本当の自分」が見えてくる。三島はそう説いていた。その言葉を聞きながら、まるで精神を射抜かれるような感覚を覚えた。
確かに、「自分は何をしているときが楽しいのか」という単純な問いでさえ、少し掘り下げられると答えに詰まる。
僕自身、ChatGPTにさまざまな質問を投げ、自分を分析してきたつもりでいたが、それでもまだ、僕という内省の、その入り口にも立っていなかったのだと痛感した。
さらに三島は続けて語る。自分が何に怒り、何を守りたいのか、その「譲れない一線」を理解している人だけが、他人に対して真に優しくなれるのだ、と。
逆に、それがわからないまま、人になされるがままになり、ことなかれ主義で行動している場合、それは優しさではなく“甘さ”である。この部分に、僕は強く納得した。
自己理解を怠ったままの「優しさ」は、結局は他者依存の延長線上に過ぎない。”ここを踏み越えたら殺す”という線引きの無い「怒ったら怖い人」など、ただのブラフだ。
だからこそ、自分自身を何段階も深いレベルで理解することは、危機感を持って続けなければならない作業だという。僕もにわかに、身が引き締まったのを感じた。
ここで思い出したのが、前にも紹介した『人生の勝算』を書いたSHOWROOM社長・前田裕二氏の話である。
彼は就職活動で、エントリーシートに書く自己分析が「1・2枚程度で終わること」に納得できず、気が済むまで分析を続けた結果、ノート3冊がぎっしり埋まったという。
生い立ちも才能も特殊だとは思うが、自己理解の深さという意味では、僕などまだまだ甘いと感じる。せめて1冊くらいは、埋まるはずではないか?
そういえば、明日は少し時間が取れる日なので、徹底的に自分と向き合うことができる。自分という人間の、いわば生態のレベルまで、じっくり確かめる時間にしたい。
その結果、僕は何を見つけるのだろう。なにせ、僕は僕のことをほとんど何もわかっていないのだから。
ということで、今日はこの辺で。