精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【英文読書ルーティン日記254】"When to rob a bank"再読感想ブログ・完走 ~そして次の本へ~

ファインマン氏の印象に残っている逸話の一つに、アルコールにまつわるものがある。彼自身、結構な酒飲みだった時期があり、バーによく入り浸っていたそうだ。

 

そんなある日、仕事を終えた帰りに何の気なしにバーを見て、「寄っていこうかな」とちらと思った際、天啓を閃いて血の気が引くような感覚を覚えたのだという。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

酒を飲むと、思考が鈍る。まともな考え事ができなくなる。自分は誰よりも観察と実験が好きなのに、そのための器官を、進んで壊しているのではないか?

 

そう悟ってから彼は、ぴたりと酒を止めたのだそうだ。なんと示唆深い逸話だろう。僕も気づけばまた酒飲みに戻っていたのだが、脳を殺してまで飲みたいだろうか。

 

というより酒を飲みながら何の思考も巡らしていないのは、経験値の無駄遣いな気もしている。うまい・まずいを超えて、どう美味い、どう合わないかも考えたい。

 

―こんな風に、考え事はタダで、かついつでも始められて、どこまでの広がっていく素敵なレクリエーションだ。僕も経済学者らしく、いつでも観察して遊びたい。

 

そう思える素敵な本、以下また読み進めていく。

 

 

10月27日(月) 不幸と憤りと何か。

 

30年前と比べると、女性の幸福度アメリカにおいて、結婚の有無、子供の有無、年齢、どれも関係なく下落しているそうだ。

 

唯一の例外は黒人女性だというが、逆に言えばそれ以外は全て……ということになる。

 

日本のことなので関係あるかは知らないが、ツイフェミさんなどを見ていると、何にあんなに怒ってるのか、よくわからない。そして怒りと幸福は同居しえない。

 

実際は何が原因なのだろう。これからの話を読むのが、楽しみっちゃ楽しみである。

 

10月28日(火) 期待と揺り戻し説。

 

30年前は、それこそ日本でも男女共同参画社会基本法とかが話題になった時期である。

 

だから期待が高まる。その当時は、その期待こそが、幸福という形でポイント化したのではないか?だが変化とは、得てして緩やかなものだ。

 

あれだけ期待したのに、現状は変わっていないではないか。その失望が現在の幸福低下と怒りになっている。

 

そう思うと納得感が強いように感じられるのだが、筆者としては違う意見が一番しっくりくるという。

 

それは、「気分や体調をはじめ、些細なことでアンケート結果など変わるのだから、そもそも意味ないんじゃね」説だ。

 

正直僕も、これが一番「確かに」と思わされたかもしれない。

 

10月29日(水) 満足するな。更新し続けろ。

 

筆者が人生で得た教訓で一番大きいものは、小粒の結果を出し続けて悦に入ることなかれ、というものだそうだ。

 

例えば自分が得意なこと、やったことがあるものばかり重ねることも大切には違いないが、それだと成長はしなくなる。

 

また、目的の視座自体が低いと、自分の伸びもそれに合わせて「止まる可能性」が高いのだ。

 

大きい魚を釣りたいなら、深いポイントを探すか、船に乗るかを考えるのと似ている。決してその辺のドブにはいないからだ。

 

筆者はいつでも、できないことや、わからないこと、失敗することやハズレを引くことを肯定している

 

それを支える哲学はこれかと思うと、すごい教えにたどり着いたようで嬉しくなれた。

 

10月30日(木) そして謝辞へ。

Freakonomics’ Steven Levitt on the secret to making tough choices: Big Brains podcast | University of Chicago News


急転直下ではあったが、今日突然読了に至った。まぁ、電子書籍あるあるというか、謝辞と索引が異様に長いから、そうなったんだと思う。

 

再読を通じて思うこととして、「覚えていた内容は2割程度」というものが大きかった。面白いという感想以外、肝心の内容は忘れていたというのは寂しい話だが‥

 

とはいえ改めて読むことで、当時は気づけなかったヒントや、読めるようになっていた言い回しや文法、単語が増えていることなど、自分の成長も感じられたと思う。

 

ぶっちゃけ、海外の人に向けた洋書を読むことに比べると、大概の入試問題の英文は極めて平易で読み易い。つくづくそう思う。(簡単と言っているわけではない)

 

だからこそ、生徒に指導する際も、自分の側に余裕ができていくのを感じる。これは問題自体に慣れたからというより、もっと難しい英文を知っているからだと言える。

 

―さて。次は何を読もうかな。新しいものを最初から読むより、一度は読んだけど正直内容理解がおぼつかないものの方がいいだろう。となれば心当たりはある。

 

明日からはそれを読んでいくことにしよう。いやはや、楽しみである。

 

10月31日(金) 次の洋書。

 

続いては【START WITH WHY】を再読することにした。今の僕には、やはりリーダーシップ論の学習が大切であり、もう一度これを通読するのが良いように思ったからだ。

 

冒頭の話を読んでみたが、やはり覚えている量は少なく、一度読み切ったことを思うと、少し寂しい気持ちもした。ただ、新鮮な気持ちで読めるという面もある。

 

なるべくポジティブに捉えながら、リーダーシップ論、読み進めたいと思う。

 

11月1日(土) 僕はリーダーなのか、率いる人なのか。

 

本書の冒頭で印象的だったのは、筆者は「リーダー」と「率いる人」を区別していたことである。前者は肩書で、後者は能力なのだと。

 

リーダーが集団を率いる能力を持つかどうかはわからないが、率いる能力を持った人はリーダーになるにふさわしい。そんな禅問答みたいなことを感じた。

 

前回はただ、教えを「ハイハイナルホド」と読んでいくことに終始したが、今回はその逐一に疑問や反論を抱けるように、クリティカルに読みたいなと、そう思った。

 

11月2日(日) 実は改訂されていた。

 

恐ろしいことに、最初読んだときに気付いてなかったことがある。それは2025年にこの本が、実は改訂されていたということだ。

 

TEDでのスピーチを経て、現代の仕事論などと照らし合わせて、具体例を大胆に変えたり、微調整を入れたりと、その結果が現行のそれらしいのだ。

 

「かつては良かったけど、今はどうだろう」という点の批判的思考は、今回はどうやら無用らしい。そういう意味では、ちょっと安心した。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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