「心が疲れている気がする」とか、「最近リラックスできてない気がする」みたいなことを思い、それを解決するための策を調べると、出てくる答えはほとんど同じだ。
「自分を大切にしよう」。つまりこの提案に行き着く。自己肯定、セルフコンパッション、色んな言い方はあるが、すなわち”自分を大事にせよ”となる。

だが、これを言うとだいぶ病んでる気もするが、僕は「自分を大切にする」というのがどういう意味なのか、実は全くといっていいほど解っていない。
何をどう思い、どうすることが自分を大切にしていることになるのか?これが難しい。例えば筋トレが大好きな人は、自分を粗雑に扱っているということになるのか?
また、自分の意のままに周りが動かないと癇癪を起す人は、正直鬱陶しい存在ではあるが、自分を大切にするという意味ではその体現者なのではないか?
そういった風に色々考えてしまうし、そもそも論、つまり自分のメタのわがままを許すことを体よく言い換えたに過ぎないとさえ、正直感じている。
しかしそれもまた暴論だと納得はする。だが、「自分を大切にする」って、つまり、なんだ?‥という問いの答えはまだ見えないままだ。
今日はこの記事を通じて、これをもっと深堀してみたいなと思っている。
前提として、僕は「自分を大切にする」と、どうにも”気持ちが悪い”。

この言葉を考えると、真っ先に似ていると思うのが、「気を遣う」という言葉だ。人を大切に扱うとき、そこではほぼ必ず何かしらの気が遣われているからである。
相手のためにドアを開けたまま待つとか、相手が嫌いなものを把握しておいてそれは注文しないとか、そういう所作をひっくるめて、「気を遣う」と表現している気がする。
となれば、「他人に対しての気遣いをするような目線・意識を、自分に向ける」ことが、自分を大切にするということなのだろうか。だとすれば、僕は抵抗を覚える。
なぜなら僕は、人からもてなされることが苦手だからである。上座に座るのも、お酌をされるのも、キャバクラみたいにくだらん話を傾聴されるのも、全部嫌なのだ。
あたかもお殿様みたいに扱われるあの感じが、すごく落ち着かない。他の人を優先して僕を厚遇するというシチュがあると、「いや、止めてよ‥」といつも思う。
この心境をどうしたものかと思ったが、noteの記事に一つ、とてつもなく「これこれ、俺が思ってたこと!!」と興奮するようなドンピシャの記事を見つけた。
ぜひ全部読んでほしいのだが、特に強く心が震えた部分のみ、紹介する。
人に気を遣われることに強いストレスを感じる。腹を立てているのではなく、どちらかというと怖いという感情に近い。
自分なんかに気を遣わせるのが申し訳ないと思ってしまう。相手に気を遣わせるぐらいなら、自分が気を遣う方がはるかに気を遣わなくて済む。
気を遣われることに異常なほど気を遣ってしまう。よく分からなくなってきたが、要するに他人に怯えながら生きている。
そうなのだ。僕に対して気を遣うことがあると、本当に申し訳ないと思ってしまうのだ。僕のために時間と労力を使わせてごめん!という感じである。
最近はある程度そこも緩和されて、素直にごちそうになったり、素直に仕事を肩代わりしてもらったり、そういう”演技”はできるようになってきたが、やはりすごく苦手だ。
これくらい生理的に気を遣われることが苦手なのだから、自分が自分に気を遣うなんて、全力で却下なのである。僕は僕を、どうにも特別扱いしたくないのだ。
これは一つの前提として、ここからの話の出発点にしなければいけないのだろうが、何かもう、既に詰んでいる構図をひしひしと感じてしまっている。
優しくされたくない僕を大切にするには、どうすればいいのか。


さらに色々調べていくと、”僕の行く末”みたいなクライアントに接した方のブログに辿り着いた。その中に一つ、僕も全く答えられない質問が紹介されていた。
「あなたは、自分が“何をされたら大切にされてると感じるか”を、ちゃんと知っていますか?」
・・・これは、僕も本当に「わからない」。というよりそもそも、「あれは明確に大切に”された”なぁ」と思えるような安堵・信頼の記憶が、一つも蘇ってこない。
これについては、他者からの愛を受け取ることが経験則として皆無であることが原因の、つまり不慣れな刺激に対する反応と同じである、という説明がついていた。
例えば虐待を受けたとか、厳しい家庭環境で育ったとか、そういうことなのだろうが…僕は別に、そんな苛烈な環境で生まれ育ったわけではない。本当に謎だ。
「自分を大切にする」とは、自分を大事に扱うことで、そこに伴うのは愛の感情”らしい”のだが、そもそも本当にそれが何か、全くもって僕は解らない。
その機能をインストールされないまま、僕は生まれてきてしまったということなのだろうか。それを後から導入することは不可能なのだろうか。
だがそもそも論として思う。僕は自分を大切にしたいのか?
‥残念ながら現状は、自分が大切にされた際に抱くであろう違和感や不快さ、申し訳なさに、全然耐えられる気がしない。その器が、今の僕には無い。
自分を大切にすることは、その人の器に愛を注ぐことなのだとすれば、そもそも愛ではなく器が無い僕は、一体どうすればいいのだろうか。
結局何にもたどり着けなかったけど、今日はこの辺で。
では今日はこの辺で。