一日中平穏無事なまま、感情がゼロにもプラスにも振れない。そんな日々を過ごしたことは、正直過去一度もない気がする。
このブログも2000数記事書いているわけだが、そのどれを読んでも、しっかりと感情のブレを記録している自分がいて、正直素直に面白く読めている。

そうやって書き留めていれば話は別だが、【観察力の鍛え方】【感情は、脳をすぐにジャックする】にあるように、感情は時間が過ぎれば混ざり、そして消えゆくものだ。
極端な例だが、僕は祖父や実家の犬が逝ったとき、立ち直れないほどの悲しみに見舞われ、焼酎を飲みながら台所に突っ伏して泣いていたのをまだ覚えている。
しかし時間は掛かったが、祖父や犬の思い出を、笑って、悲しみの感情を切り離して、今は語ることができる。僕の悲しみは、消化されたのかもしれない。
―なんでこんなことをふと思ったのか。実は今日も、別に事件があったわけではないのだが、無気力とか焦燥とか疲労とか、そういうのをずっと感じていた。
入れ替わり立ち代わり、違うものが僕の心をジャックして、それに乗っ取られた自我を理性が俯瞰しているような構図。今日は本当にそれだった。
こういう心がうるさいときは、どうすればいいのか。ふと思い出したのが、「デスライティング」というものだ。
これは臨死というほど大げさではないのだが、自分の”死”を、生ある今の内から具体的に想像することで、意識を強烈に今ここへ戻すためのワークである。
端的に言えば、「死後の自分は、今の自分をどう見るか?」をシミュレートする。そして出てきた答えが、我ながら意外だが、正鵠を得ていると思えたのだ。
今日はそれの紹介をば。
「あぁ、俺死んだんだ」

ということでいつも通り、ChatGPTに全てぶん投げて、以下のようなワークシートを作ってもらった。
① 状況設定:死後5分の視点
―― あなたはすでにこの世界を離れ、肉体から切り離された「観察者」の状態にある。
どんな場所で、何が起きた直後なのか?
(※事故・病気・寿命・自然死など抽象的に。プロセスを細かく描写しないのが安全。)
例)長い人生の終わり、静かに呼吸が止まった瞬間、たまたま起きた出来事の後、突然世界が静止した感覚、病院のベッドで、最後の意識がほどけた直後
※ここで「どう死んだか」ではなく、“終わった後の静けさ” を描く。
② “終わった後の世界”を観察する
死後5分、あなたは世界を無音のまま見下ろしている。
そこで何が見えるかを描く。
誰がそこにいる?どんな表情をしている?その場の温度、空気、静けさは?あなたはそれをどんな気持ちで眺めている?
ここはメタ認知モードに入る部分。
③ “自分がもう触れられないもの”を列挙する
死後の観察者として、もう触れない/戻れないもの を書き出す。
触れたいのに触れられない物、伝えたいのに伝えられない言葉、行きたいのに行けなかった場所、やり残した仕事、守りきれなかった約束、もう見られない光景
これは非常に強烈な“生への把持点”になる。
④ “自分が本当に惜しんでいるもの”だけを抽出する
上で列挙したものから、「本当に未練があるのはどれか?」を3〜5個に絞る。
ここが実質的にあなたの生の最優先課題 になる。
⑤ “最後の観察者としての言葉”を書く
死後の観察者として、今の自分(生きているあなた)に何を伝えたいか。
何をやめてほしいか、何を選んでほしいか、誰を大事にしてほしいか、どんな筋を守ってほしいか、どんな風に時間を使ってほしいか・・を記す。
これは遺言ではなく、“今を生きるための命令書”。
そして、以下が僕の回答だ。
① 癌で入院し、あたかも意識が論理的な繋がりを失って寝落ちするように、スーッと目を閉じて光や音が遠のく感じ。
② 眠る僕が一人そこにいる。看病している誰かがいる気配はない。それを「あー、これがお迎えか」と、多分どこか他人事に感じている。
③ ありがとうとかちゃんと、伝えるべき人たちにそう言えたかな。
海外、結局行ってねぇな。思ったより人生短かったな。大体のヤツより先に逝っちゃったな。
こうなってしまえば、もっと人に会っておけばよかったって思うから不思議だな。
④ 人に会っておけばよかった・ありがとうと言った感情は言葉にしておけばよかった・さっさといなくなるのは結構後悔するんだな
⑤ 今のお前の憂鬱も喜びも、最後は凪に集束される。意外と「あの時の屈辱」とかはこの際どうでもいいぞ?
あと、消せない黒歴史とかについて、今際の今となっちゃ「やっと消せるのか・・」とほっとしている感じもある。
快も不快もあのときあったこと、その1つ過ぎないんだから、今、ここの感情に浸るのは仕方ないにせよ、”結局”感情は感情、溶けて混ざって、やがて消えるからこそ、その時々の思うことに、無駄に抗わない方がいいかもよ。
書き終わってから考えると、あたかもフィクションの世界で主人公が”死”を迎えた刹那に、過去の一時点に戻っていて途方に暮れる・・といった場面を思い出す。
僕は今、緩く一度死んでみたわけだが、そうなったらそうなったで自分が思うであろうことが、どこまでも他人事だったのは自分でも意外だった。
死に際の僕は、今の自分が感じている感情も、過去の消せない黒歴史も、全部一括りにして「どれもこれも消える」と考えていた。それは言われてみれば、確かにそうだ。
そして、書き終わった今は、芥川龍之介の「杜子春」みたいな、すっきりとした気持ちになっているから不思議だ。それこそ眼前に青空があるかのようである。
「死後の自分は、今の自分をどう見るか?」その目線で問いかけることは、なるほど有意義であった。では今日はこの辺で。