精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

僕は”休み”の必要量が少ないだけなんじゃないか説。

ワークライフバランスという言葉を言われずとも、折に触れて「休みを取らなきゃな」と思うし、実際に積極的に休暇を取る人を見ると素直に尊敬できる。

 

実際、僕に休み取得を勧めてくる人の意見もよく理解しているつもりだ。それでも、最後にフルで休んだのが11月16日で、そこからほぼ連続勤務が1か月近く続いている

 

2025年は、30日以上の連続勤務をすでに5〜6回は経験した。年間休日も20日あるかどうかだろう。もちろんこれは年末年始、GW、盆も含めている。

 

数字だけ見れば相当やばい働き方だと思うし、「どれだけ狂ってんだ、どれだけストレス溜めてんだ」と言われても仕方がない、とも感じている。

 

だが実際、僕は案外ケロっとしている。むしろ、「どれだけストレスに対して麻痺しているんだ?」と、自分で心配したくなるほどだ。

 

ただ最近、同時に、この心配はもしかすると不要なのかもしれないと思い始めている。今日はそんなボヤキを徒然なるままに書き殴ってみたい。

 

 

したいことは、ギュッとして、パッとやってるので。

 

休みの日に求めるものといえば、多くの場合「やりたいことをがっつりやる」「仕事から一度離れる」といったリフレッシュの感覚だろう。

 

しかし僕の場合は、正直そこまで、それを得るために時間は要らない。丸一日休みを取れても、感覚としては 5〜6 時間あれば十分満足してしまう。

 

例えば釣りに行くとか、スタバで好きな飲み物を買うとか、その程度で満たされる。むしろそれをしてしまった後の時間は、”余計”なのだ。


実際、以前独り旅をしたときもそうだった。朝10時に家を出て下関まで車を飛ばし、海響館で遊び、帰りに寿司を食べ、温泉に寄って・・と、結構満喫したつもりだった。

 

それなのに、帰宅したら夕方5時前とかだった。もちろん、全く急いだつもりはない。タイパなど全く重視していないのに、こんなに短くまとまってしまって驚いている。

 

移動も含めて7時間。それだけで、「あ~、心底十分、楽しんだ」と思えてしまった。このとき「あれ、俺の休日って、こんなに短くていいんだ」と悟った記憶がある。

 

そもそも、僕の仕事は昼から出勤のシフトのため、例えば日曜の前半で仕事を片付ければ、その後でキャンプに行って、翌朝9〜10時に撤収しても、余裕で定時に間に合う


だから「24時間ないと休んだ気がしない」という感覚が、僕にはあまりない。休みとは状態というより、過ごし方の話だと、今は正直納得している。

 

・・・ところで、度々書いているが、僕は強弱こそわからないが、特性として結構な多動傾向を持っていると思っている。

 

実際、同じ状態が続くと、途端に飽きてイライラが始まってしまう。休みとされる時間が続いても飽きてしまうし、同じ性質の仕事が続いても、やはり飽きる。


ではなぜこんなに連勤できるのかといえば、仕事と仕事の“すき間の数時間”が、ちょうどよく僕の「休日として機能している」からだ。

 

もし自分の主体性が及ばない状態で仕事が連続していたら、とっくの昔に嫌気がさしていただろう。自分が納得する形で、自分の意志で、そうしているだけなのだ。


だからこれは誰にでも押し付けられる考えではないが、「僕のメンタルって案外健やかに保たれているのでは?」という、ささやかな再発見にはなった。

 

実際、連休というオフも、年末年始・GW・盆以外に「欲しい」と思ったことがほとんどない。だからその時期以外に最後にそれを取ったのは、下手すれば2年前とかだ。

 

これは人生において、実は限りなく夢中になれているものが今は無いということなのかもしれない。だとしたら、それはそれで、寂しくも思うが‥まぁ、いいか。

 

では、とりとめのない話だったけど、今日はこの辺で。

 

 

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