精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

理想の自分を求めることに、いい加減、疲れた。

今日は、ただの愚痴のつもりで書き始めたところ、あくまでも僕にとって重要な気づきに至れそうな感覚があったため、この勢いのまま文章にしておきたいと思う。
 
今、僕は教育相談のハイシーズンだ。昨日は6件、今日は3件、明日に3件、明後日にも2件行えば一旦は区切りがつくが、追加が出るのは確実なので、気は抜けない。

・・・度々書いた通り、僕はこういった“かしこまった場”が本当に疲れる。相手から見られる自分について、発言・所作・思考の全てに厳しいセルフチェックが入るからだ。

 

言葉遣いを整えるだけならまだいいが、「相手からどう見られるか」を意識した言葉選びや立ち振る舞いを意識し続けることは、とにかく消耗・疲弊を招いている


どれほど疲れるかといえば、丸一日寝ても、精神的な疲労がゼロにならないほどだ。体感では、前日比の30%くらいの疲労が、どうしても残る。

 

・・・こうしたタフな日々を積み重ねた結果、今日ふと、ある気づきに至った。これは、”未来の、体力が回復した後の僕”にとってとても大切なものだと思われる。

 

その気づきとは、「そろそろ自分の理想像に付き合うのが面倒になってきた」というものだ。だから以下、自分への手紙のつもりで、僕に宛てて、文章を書いてみる。

 

 

いつまで“150点のお前”にしがみつくつもりなのか。

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お前はいい年になったのに、実は過去抱いた理想の”お前”を、捨てきれてないな?実際、お前の思う“カッコいいお前”は、確かに今の僕から見ても魅力的だ。

 

憧れる気持ち自体は悪くない。だが、なぜ、“もはやフィクションと言っていいレベルの幻想”に向かって、自分を近づけようとし、一方、そうではない現状を呪うのか。

 

仮にフィクションの世界にいても違和感のない“有能キャラ”になれたとして、それはそれで、お前の何も、変えないだろう。


例えば、そんなふうに完成した姿を見て、周囲は一体何と言うのか。多分、何も言わない。ちやほやされたとして、そんな未来、お前は本当に歓迎したいのか?


お前は口では「理想は諦めた」と言いながら、心のどこかでそれを完全に手放した後の自分がどうなるのかが怖いのだと思う。しかし、実際はもう、そうなっているぞ?


20歳の頃のお前が想像していた将来像に、今の僕は1mmも重なっていない。お前が思った以上に俺は成長してないと言えるけど、それでも今の方が圧倒的に人生は楽しい。


社会や他人様から求められる謎の成功モデルを追いつつも、それが幸せに何ひとつ寄与しないのに、それは自分のせいだと自責に終始していたあの頃が懐かしく思う。

 

だが、はっきり言う。今の僕の方が、よほど健全で、よほど楽しく、生きている。あの頃のお前が欲しがっていた物を捨てた結果が、この解放感なんだよ。


それでもなお、理想は大事だ、自分にとって、努力を絶やさないためのの北極星である・・・とどこかで思っているのだろう。それが本当に“やりたい”なら、僕は否定しない。


だが普段のお前は、”実際の”ところ、フィクションのキャラのような体型になりたいとか、バチバチにかっこよくなりたいとか、ほとんど思っていないだろ?

 

本当にそう思っているなら、とっくに行動し、継続しているはずだ。実際に、心の底からしたいことはやり遂げる力があることは、英検取得の実績が証明してるんだよ。


結局お前が苦しんでいるのは、理想を持ちながら、そこに向かう行動を取らない自分との“ちぐはぐさ”だろう。そのケツを誰かに蹴り飛ばしてほしいんだろ?


例えば、「理想を持つなら行動しろ。行動しないなら理想を捨てろ。」お前が”誰かに言ってほしいこと”は、きっとそれだろ?


ではなぜ、お前は動けないのか。心の底では、そんなのは理想の自分でもなんでもない、目指したところで徒労になると、理解しているからじゃないか?


いい加減、そのくだらん理想像については、徹底的に紙に書き出して、そのあとで焚き火に放り込むなりして、精神的な区切りをここで一度つけておくとかどうだ?


今は疲労困憊の精神状態なんだけど、疲れ切った結果、今はそう感じている。理想なんてサッサと捨てられていれば、今頃、その在り方に熟達していたことだろう。


理想がくれたものは何か。無駄な疲労だけだよ。俺はそう思っている。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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