昨日、とある格闘ゲームをプレイしていて、そのイベントシーンで思わず胸が詰まるセリフに出会った。
内容を細かく語るとネタバレになるので省くが、それは、「あなたは優しいから、きっと自分のことは後回しにし続けてきたのね」という一言だ。

好きな女性声優の声だったこともあり、さらに酔っていたことも重なって、キャラクターへの感情移入という次元を超えて、まるで自分が言われたように、それは響いた。
逆に言えば、響いたということは、潜在意識の部分では、実はその自覚があるということかもしれない。これはこれで、自己理解に繋がる大事なヒントだ。
だがその一方、「それを理解してくれる誰かが実際に目の前に現れると、俺は色々と決壊しそうだな」という危うさも同時に感じている。
この感覚を前提に、今日は少しトリッキーな角度から、そのメンタルを掘り下げてみたいと思う。
「優しいから後回しにしている」という風に”見えているだけ”だと僕は思っている。

僕は、優しいからそうしているのか、それとも単に甘いのか、あるいは合理の結果なのか、自分でもよく分かっていない・・というのは前提として、以下書いていく。
事実として、確かに僕は、 “自分を後回しにする選択”を自然に取りがちだ。例えば有給休暇を交代で取得することがあるが、僕は「自分が休むこと」にあまり興味がない。
ならば、”休み”に関して重きを置いている他の誰かが休みを取れた方が、この世に生まれる幸福の総量が増すことになるのだから、その方がいいと割り切ってしまうのだ。
実際つい最近も、授業一つのために休日出社になりそうなスタッフがいたので、それを察知し、僕が調整して、フル休みを確定させたところである。
・・・この点に関して僕は、「ほら、優しいでしょ?」と他人に迫りたい気持ちは一切ない。単に、1人で回せる仕事に2人当てるのは非効率でしょ、と思うだけだ。
とはいえ、ここで一つの認知のバグに気づく。本来なら「1人で良い仕事」を誰がやっても大差はないはずだ。なのに、僕はほぼ例外なく、”自分が動く”ことを選ぶ。
理由はなんとなく自覚している。それは言ってしまえば、価値観の違いとその理解にある。実際、僕は「自分の意思で休日に出る」ことには抵抗も嫌悪感もほぼゼロだ。
しかし、他人に頼むとなると、その人の休みを奪う申し訳なさ、人材を無駄遣いしてしまったような感覚といったものが、どうしても強く出る。
そして、「人の休みを奪わないと回らない状況」は完全なマネジメントの失敗であり、その状態に陥るくらいなら、自分でやった方がはるかにマシだと思っている。
だから頼むことは、ここ数年ほとんどない。これは優しさや甘さというより、“気付いてしまう、見えてしまうから調整してしまう”というただそれだけなのだと信じたい。
ただ…これは所詮、強がりかもしれない。なぜなら、あのセリフを聞いたとき、実際に、体感として、わかりやすく胸が詰まったのだから。
手前味噌だが、僕は周りにいる人のことを注意深く観察することは得意だ。例えば無自覚の良いところを見つけたり、相手の苦労を発見し、配慮したりするのはできる。
しかし「じゃあ自分にそれを向けられるの?」と問われると、まったくできない。だから先のセリフが刺さったのだと思う。
「あなたのこと、ちゃんと分かっているよ」
という、上からでも下からでもなく、ただ観察して気づいたままを伝えてくれる感じ。
あれは全く、押しつけがましくも、また浅薄な一言にも、聞こえなかった。
普段の僕は「そんな都合の良い人間いるわけない」と切り捨てるタイプなのに、いざ言われると、理解者なる者を求めたくなる気持ちが、少し分かってしまった。
もしかすると、今の僕の深層心理は「お前は相当疲れているぞ」と理解していて、それが段々、隠し切れなくなっているだけなのかもしれない。
もしそうなら、このまま突っ走ると危険だ。どこかで一度立ち止まり、静かに考える時間を取った方がいい。今はそう感じてはいるが…。
やはり今の僕の顕在意識はどうしても、「そんなのは年末まで諦めろ」と内側から唱え続けている。そして僕は、それに言い返すでもなく、ただ納得してしまっている。
本当に、先は長い。では今日はこの辺で。