精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

不安があるから動けてる。これが解消できたときが引退時かな、と。

やっぱりなんだかんだ言って、動いていないと不安だ。今日は12月12日で、時期的には冬季講習が始まる直前である。それもあって、広報してないと全く落ち着かない。


学校側の懇談はまだこれからだからこそ、募集が動く“本当のハイシーズン”は、ここから数日間くらいだろうと僕は見ている。それまでに資材をある程度配布しておきたい。

 

今の感覚に似ている魚釣りの用語に、「時合」というものがある。これは、魚の活性が急にパッと上がって、割とすぐに治まる、いわゆるチャンスな時間帯のことを言う。


今の状況は、まさにあれに近いものを感じている。それはいつ来るか分からない。だからこそ、来た時に備えて、あらゆる手を打っておく。今はそんな意識で動いている。

 

広報活動は、ビラ配り当日に荒天になったり人を充てられなかったりという誤算があって行けてない以外は、ほぼ問題なくこなしている。


そこで不足した分は、僕が朝から1〜2時間早く家を出て、ひたすら開拓したいエリアのポスティングに回している。現時点で合計、450部ほど撒けたと思う。

 

現状、冬季に関する問い合わせは1件だ。とはいえ繰り返しになるが“本番”はここからである。だから、そこへ備えて、取りこぼしたくないという気持ちは強い。

 

それに、過去に体験に来てくれたご家庭へのアプローチ、兄弟生への声がけなど、できることはまだまだある。


それを全部やり尽くして、1人でも2人でも人数を増やす。それが僕の仕事であることは十々承知している。

 

・・・と同時に、本当に何の気なしに、この不安が消えた日を頭に浮かべてみた。それは何が成されたときにそうなって、そのときの自分は何を考え、何を思っているのか。

 

その果てに見えたのが、久しく忘れていた「区切りたい」という気持ちだった。不安が解消できたとき、それは僕が引退すべきときなのだ、と。

 

今日はそんなお話をば。

 

 

不安が終わった後に、僕が抱くであろう感覚。

 

最近はとにかく、この種の活動をしなかった日は気持ちが全く落ち着かない。達成感やご褒美という次元ではなく、“何もしていない自分”への嫌悪感がすごい


動いていないと、生きているのが嫌になるほど落ち着かない。これはこれで経営者向きという人もいるが、どうだろう。僕としてはただ生き辛いだけなのだが。

 

では、心に浮かぶもやもやを消し得る行動を取れば、すぐに不安が消えるのかというと…想像に難くないが、やはりそうでもない。


例えば、かなりの数量の広報資材を撒けたとしても、今度はそれに反応し、問い合わせが来るかどうかがとても不安になる。


ただ、その部分はコントロールできない領域なので、諦めはつけやすい。種まきをしていなければ、そういう類の不安さえ抱けないのだ。


だからこそ、自分がコントロールできる部分だけ徹底し、できない部分は切り離すという、いわゆる「課題の分離」を意識している。これでかなり、マシにはなった。

 

ただ、広報だけに専念しているかというとそんなことももちろんなく、授業などの業務も一切手を抜いていない。よく体と精神が保っているなと、自分でも不思議に思う。


ケロッとできているのは、何かしらのホルモンやスイッチによって隠されているだけで、その下には膨大な疲労が溜まっているのではないか、とも考える。

 

だとしたら、それが噴き出す瞬間を想像するのは正直怖い。そしてそれが噴き出す瞬間は、僕の中の不安という強力な栓が消えたときに起きるだろう。

 

不安が消えたとき、それは講師が育ち、生徒が増え、恥ずかしくない額の給与を頂き、保護者とも良好な関係を築き、未来への展望もキラキラして見えている状態だろう。

 

そしてそれが、僕が何かせずとも、自走する状態にできれば、そこに僕は不要となる。やり切った先にあるのは、僕の要らない世界なのだ。

 

そしてそこまでやり切ったら、僕はそのうえで今の仕事をさらに深化、あるいは拡大するだろうか。正直そんな気はしない。きちんと区切りを付けてしまう気がする。

 

過去の自分の発言が、数珠つなぎになって蘇る。僕は良くも悪くも中継ぎだ、試合を作れたら、さらにいい投手に引き継ぐために、この責務を負っている。

 

一番大変なところをやり切ったら、そのことによる美酒に酔う期間さえ”要らない”。なんと自分らしい幕引きなのだろう。

 

また一つ、腹が決まったように感じている。では今日はこの辺で。

 

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