今日は、定期的に見る「夢」について書いてみたい。尚、ここで言う夢とは、将来叶えたい理想や野望ではなく、寝ているときに見る、いわゆるドリームの方の話だ。
だいたい三ヶ月に一回くらいの頻度で、かなり定期的に見る夢がある。それが「全てから逃げ出す夢」である。この熱量は凄まじく、我ながら鬼気迫るほど、逃げている。

別に何か犯罪を犯したとか、そういう直接的な理由があるわけではない。ただ、強い切迫感を伴った状態で、ひたすら逃げている。
「追われている」という感情がやたら具体的かつ印象的で、その空気感や焦燥感が、目が覚めた後もしばらく残る。本当にリアルで生々しいのが特徴なのだ。
今日はこの「謎の夢」を基に、僕の深層心理のようなものを掘り下げてみようという、そんな謎の記事である。
「ここではないどこかへ」
この夢は、昔からというより、割と最近になって見るようになった。年齢でいえば20代後半からだろうか。例えば学生時代にこんな夢を見た記憶は、一つもない。
直近で見たものだと、誰から逃げているのかもはっきりしないまま、スマホを投げ捨てて夜行バスに乗り、とにかく遠くへ逃げる、という非常に具体的な展開だった。
更にその前に見た夢では、理由は分からないが突然逃げなければならなくなり、電車を二つ三つ乗り継いで、それが発車するたびに、強い安堵を覚えていたものだ。
我ながら、生々しい。そういうリアリティもあり、こうした夢を見るたびに、何をそれは伝えたいのか気になり、と同時に不思議だな、と思っていた。
ただ、最近になって、こういう「逃げたい、逃げねばならない」という渇望自体は、実は自分の中に以前からあったのではないかと感じ始めている。
ちなみに、この夢を見るようになった直接のきっかけとして思い当たるのは、三島由紀夫の『金閣寺』を読んだことだ。
勿論物語全体を通じて、印象的な場面はいくつもあるのだが、僕が一番強く心に残っているのは、主人公が寺から出奔し、由良という場所へ向かう場面である。
何かから逃げているというより、あらゆる関係性や役割から切り離された状態に身を置く、その描写が、やたらとリアルで、かつそれが自分にシンクロする感覚さえ覚えた。
よくよく考えてみると、夢の中の僕も「逃げたい」というよりも、「全てから離れた状態にありたい」という欲求に突き動かされていると考えるべきなのかもしれない。
実際、つい一、二週間ほど前から、新しいリラックス法として、毎日30分、スマートフォンの電源を切ることを試している。これが、驚くほど心が落ち着くためだ。
誰とも連絡が取れない状態、いわば絶対に自分の時間が邪魔されないという完全に分断された状態に在るというのは、寂しさや孤独とは無縁で、非常に安らぎを覚える。
それもあって、僕はソロキャンプが好きなのだと思う。僕がそこに求めているのは、自然そのものだけではなく、外界との関係が完全に断たれた時間と空間なのだ。
そう考えると、他の僕の趣味嗜好とも、色々と辻褄が合ってくる。例えば、僕は旅番組を見るのがとても好きだ。
誰かがどこかを旅している映像を見ていると、自然と自己投影して、自分もどこかへ出かけている感覚になる。今ここではないどこかへ行きたいという想いを託している。
つまり僕は、「独りである」という状態に強く惹かれる人間なのだろう。その願望が、
潜在意識のレベルで熟してくると、都度夢という形で映像化されてくる。
今のところ、これが僕の仮説である。となれば、今の自分もまた、”何かから逃げたい”と内側から訴えているのだろうか。この問いに対する答えは、正直に言ってイエスだ。
僕が心底「逃げたい」と感じているとき、それは「ちゃんと距離を取って休みたい」という感覚を、別の言葉・表現に仮託しているだけなのかもしれない。
この三ヶ月に一度くらい見る「逃げる夢」は、そろそろ休みたいという、内側からのサインなのだろう。そう解釈して、今後はこの夢を前向きに受け止めていこうと思う。
ということで今日はこの辺で。