精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

「僕は学習を通じて何をしてきたか」

今日も昨日に引き続き、自分の理念を見つめるために記事を書いてみる。不思議なことに、日を重ねるごとにこれを考えることへのモチベーションが高まる感覚がある。


いわば、自分が何をしたくてこの仕事をしているのかという仮説一つ一つに対し、「なるほど」と腑に落ちる瞬間が、少しずつ増えてきている感じだ。

 

今日はその中でも、一つのキーワードとして浮かび上がってきた点について、手短に振り返っておきたい。それは、「僕は学習を通じて何をしてきたか」についてだ。

 

過去の自分が打ってきたプロットを繋いでいくと、明瞭に、今の仕事のスタンスに繋がる線が見えてきたという手応えがある。以下、そのお話をば。

 

 

ただ自分が”そうしたい”と思った方向に対し、正直に学んだだけ。

 

先に断っておくが、これから書く内容は、僕自身の実績自慢ではない。そういう過去を経てきたというただそれだけの話を、いわばただの例として提示するだけである。

 

そもそも僕は、肩書きや実績で自分を誇示する行為が本当に苦手だ。それもあって、学歴や資格を並べ立てるようなプロフィールには、正直吐き気すら覚える。

 

だからこれは、僕のステータスを示すための話ではなく、伝えたい理念を補足するための材料だと理解してほしい

 

さて。僕は昔から、普通の人なら尻込みするようなことに対して、妙に無知で無謀だった。実際、高校2年生の6月頃、独学で取得した資格がある。


それは初級システムアドミニストレータというもので、一応履歴書にも書けるシステム系関連の国家資格なのだが、最近は面倒で、ついぞ書いていない。

 

当時はその難易度や勉強法に関する情報などほとんどなく、そもそも受検のきっかけは、学校の情報の先生に勧められたというただそれだけである。

 

結果として合格はできたが、冷静に考えれば文系の、高2が、独学で、それを取得しようと本気で思い、達成するなど、ただただイカれているだけだと思わされる。

 

また、英検についても度々書いているが、僕はいきなり準1級から受けている。ゆえに英検2級は持っていないし、取ろうという気はさらさらない。

 

結果として、一次試験も二次試験も一発で合格できたが、普通に考えれば”本当に受検したことそのもの”が、これまた狂気の沙汰である。

 

もちろん相当頑張ったという自負はあるが、そもそも「いきなり準1級を受ける」という発想自体が、周囲から見れば意味不明だったと思う。

 

海外に住んだ経験もなければ、英語圏の国に行ったことも今に至るまで一度もない。あらゆる意味で無謀なのは承知の上だったが、「でもイケそうだ」と本気で思っていた

 

その後も1級へのチャレンジを敢行したのだが、その理由は本気で言うが、「ここまできといて準1級で終わるのは面白くないな」である。

 

実際一年弱の本気でしんどい勉強が必要になったが、一次試験は合格し、ただし二次試験で遂に一度、落ちてしまった。そしてこのときは・・絶対”やり返す”と誓った

 

7割で合格できれば十分、という発想は最初から消し、どうせやるなら8割以上取ってやろう、という気持ちしかなかった。そしてそれは、達成された。

 

・・・そして最近も、「時間がないから勉強できない、だから成績が上がらない」と言う生徒たちをねじ伏せることだけを目的に、漢検2級に挑戦した。

 

”1日10分以上は勉強しない”という縛りを設けたうえで。その代わり期間を4か月ほど取って、検定に挑むことにした。(高校生の頃に落ちたままだった過去を清算する狙いもある)


正直合格点自体はあっさり取れそうだったので、目標を【190点以上で合格】という風に、大幅に上方修正した。そう決めてからは、ぶっちゃけ、結構キツかった。

 

1日10分しかできない勉強で、何をどう対策するか。そのために頭を使う時間は、我ながらマゾだが、かなり楽しかったことを認める。

 

そしてそれは・・達成された。尚、この成績を生徒に見せたら、「ちょっと気持ち悪いっす」と引かれたが、それは僕にとって最高の称賛に等しく聞こえた

 

・・・こういう、自分の中で”そうしたい”と決めたことに向けて探究し続けることは、純粋に楽しいし、それによって周囲がどんな顔や反応をするかなど、心底どうでもいい

 

「勝ち誇れるか」とか、「見下した相手を見返せるか」といった動機は一切ない。やれるならやってみたいし、その果てに何を味わうか、自分が知りたいだけである。

 

だからこそ、最初から可能性を自分で止めてしまっている子どもたちを見ると、強く思うことがある。

 

お前らは能力がないのではない。限界の壊し方を知らないだけで、世界の広さを知らないだけで、そしてそれを打開できる方法を知らないがため、行動できていないだけだ。

 

どれほど可能性が広がるかを知らないまま諦めてしまうこと自体が、もったいない。俺は俺の手が届く世界の中で、そういう悲しい思いをする人を看過できない。

 

これこそが自分の理念だと捉えると、腹落ち感はかなり強い。つまり、僕にとっての「WHY」の部分は、正直8割以上は見えてきたと感じている。


ただ、まだ弱い部分も残っている。確かに身震いする想いはあるが、これを諳んじれるかと言われると、それは無理だ。

 

だからこそ、これからも向き合い続ける必要があるのだと思っている。ということで、今日はまだまだ途中経過と割り切って、内省はこの辺で終わりにする。

 

 

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村 にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村 ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村