精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【英文読書ルーティン日記260】"START WITH WHY"再読感想ブログⅥ ~まずWHYから始めよ、そして‥~

本を読んでいて、一番心躍る瞬間はいつか。これは明確に答えられるのだが、全く別々の本の内容が、バチっと一つに繋がった刹那である。

 

これはいわば、別々の場所にできた湖同士が、支流を通じて繋がり、一つの巨大な湖を形成するのと似ている。この瞬間の脳汁は、本当にすごいものがあると思う。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

勿論、この合法かつ健全なドラッグは、生半可な読み込みでは得られない。年に1~2回得られればいい方だ。そして今、その貴重な快楽を、現在進行形で感じている。

 

危険な響きにも聞こえるが、こういうワクワクもあって、この本を読むペースはそこそこに早くもなっている。

 

そんな名著、今週もガンガン読んでいくことにしよう。

 

 

12月15日(月) 何を買う、ではなく、ここで何を買う、を引き出せるか。

 

時折、同じモノを買うにしても、「どうせならここにお金が落ちてほしいな」と考えて、買う場所を選んでいることがある。これは、僕がそこのファンであることを意味する。

 

実際、キャンプグッズを買い足したいなと思った際も、まずは好きなブランドがその商品を扱っていないかを確認している。あれば買うし、無ければ次に好きなそれを見る。

 

教育も同じだと思う。ぶっちゃけ僕の授業力など、都会を主戦場にするカリスマ講師の映像授業にさえ及ばないと思っている。スタンダード的な意味では勝ち目はない。

 

だが、徹底的に、個人的な体験・観察力に基づくオーダーメイドな指導をすることにおいては、正直おいそれと負ける気がしない。

 

自分はスタンダードではない。勇気を出して、尖っている部分を喧伝することが、僕がもう一皮むけるのに必要なカギなのかもしれない。

 

12月16日(火) 言葉が届かない世界。

 

真に魂・心を揺さぶるときは、言葉ではなく心からそれが発信されているものである。そう書かれているとき、ふと思い当たる具体例があった。

 

それは小説だ。こと三島由紀夫氏の小説は、その表現・描写があまりにも絢爛豪華すぎて、その真意を理解できないことがちらほらある。(特に【仮面の告白】に多い)

 

だがこの感覚は、心から湧いてくるものをそのまま既存の言葉に当てはめた天才の技であるがためなのではと、この本を読んで思い直している。

 

つまり僕が共感を覚えにくい一方で、例えば平野啓一郎氏は中学生の頃に【金閣寺】を読んだ際に”衝撃を覚えた”と語っていたように、刺さる人に凄まじく刺さるのだろう。

 

これはサイモン・シネック氏のいう「WHY」の部分を言語化できた稀有な例なのではなかろうか。そう思うと、小説の読み方が自分の中で変わっていく気がしてきた。

 

12月17日(水) 何を欲しいかを言語化できている顧客はほぼいない。

 

筆者が見かけた洗剤のパッケージには、「白いものをより白く!明るいものをより明るく!」といった文言が書かれていたそうだ。

 

そういう洗剤は確かに魅力的に聞こえるが、実際のところ、消費者が洗剤に対し”無意識に求めているもの”は、実は乾燥後の香りなのだそうだ。

 

また、不信に陥っていた自動車会社は、その高い技術力を全面に出して売り続けたが、結局のところドリンクホルダーが無いことが不満の一因だった、ともいう。

 

見えるもの、言語化できているもの、それも勿論大事なのだが、如何に人が潜在意識のところで欲している、あるいは拒否しているものを掴むべきか。

 

観察力の極致はここに在るような気が、すごくしている。

 

12月18日(木) ”合理を超えろ”。

 

先日、3か月くらい待ち望んだ、とあるキャンプグッズが遂に届いた。箱から取り出し、うっとりと眺め、待っていた期間さえどこか素晴らしい思い出に思えてくる。

 

正直、何度も悩んだ。似たコンセプトの商品は他にもたくさんある。妥協すれば、機能はすぐに買えたのだ。だが僕は、機能ではなく、”それ”が欲しかった

 

合理的な理由など全くない。なのに、手に取りたいと切望し、そして実際に届けば、待たされた日々もまた、愛しくなる。

 

合理を超越しない限り、この世に価値ある商品を提供することは困難だ。その証左であると同時に、こんなん科学できるのかと、すごく不安にもなっている。

 

12月19日(金) 続・”合理を超えろ”。

 

自分がついつい”調べたり買ったり”してしまうブランドを思い起こすと、その企業理念などを説明できるものが”一つもない”ことにすぐ気づいた。

 

正直、「いやー、俺、この製品の”感じ”が好きなんだよね~」と、何の説明になっていない説明で、すごく納得・満足している感じだ。

 

”なんか好き”という感覚を持ってもらうことこそ、WHYが滲み出ている組織の最たる特徴である。これは完全に、合理性など超越している。

 

だがそれの方が圧倒的に素敵だなと、僕はやはりそんな風に感じている。

 

12月20日(土) 共感・表明・所属意識。

 

先日もスタバに行って気付いたが、中にいる人の意識はすごく高い。勉強、Zoom会議、Macを開いての何らかの作業・・・。だから僕は、店内飲食をしたことが無い。

 

僕はカフェの機能にそういった作業・勉強を求めていない。そういうのもあって、スタバの商品は好きだが、場としての雰囲気はそうでも無かったりする。

 

だが彼らにとってはそこは唯一無二の、そのための場所であり、そこにいる自分に安らぎと、ある種の自信を覚えているような気がする。

 

合わない人を淘汰しつつも、強固なファンを集めていく。その強さを、淘汰された側から、最近ふと考えさせられた。

 

12月21日(日) まずWHYから始めて、次に・・・・。

 

WHYの言語化は、ドミノの1枚目である。しかしこれに取り組むことで、後はドミノが倒れていくように、次の段階へ連鎖する。

 

僕は、別の記事になるのだが、自分のWHYの言語化はほぼ果たせている。あとはその手段の話だ。

 

そしてここから、いよいよそれが始まってくるという。人生としても職歴としても分水嶺の今、早く読みたくて仕方ない。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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