最近は知らないが、特に平成初期〜中期の漫画作品では、「有能な人物」として、分刻みのスケジュールで生きているキャラクターが頻繁に登場していた印象がある。
例えば何時何分にどこで何をしたら、その10分後には別の場所へ移動し、そこでの滞在時間は2分とか。そういった動き方・働き方である。

子どもの頃の僕は、それに妙な憧れを抱いていた。不思議とその様にシビれ、どこか格好良く見えたのだ。だから実際に、真似してみたことも当然ある。
子供ながらに予定表らしきものを作成し、数分でこれをやって、数分であれをやって‥という風にシフトしまくる。残念ながら、その感想自体は記憶から完全に消えた。
・・・もちろん今振り返ると、あれはかなり誇張されたイメージでもあったと思う。なんならどこかコミカルな面として描かれることもままあったように思う。(こち亀とか)
しかしその一方で、現実にそうした生活を送っている人がいるのも事実である。代表例で言うと堀江貴文氏とか西野亮廣氏とか、文字通り分刻みで動いている印象だ。
のみならず、SNS上では特に、毎日が予定でびっしり埋まっており、そもそもスケジュールを「空ける」という発想自体がなさそうな人もいる。
少し前までの僕は、そうした生き方に憧れつつも、「あれは別世界の人間の論理だ」と、どこか切り離して考えていた。超人に生まれたからできる話なのだ、と。
だが最近、その見方が大きく変わってきている。自分という人間をより生産的に動かすという目的を果たすために、この思考こそ必要なのかも、と思っている。
今日は以下、そんなお話を書いてみる。
「2時間でやって」とかがクソ苦手な性分なので。

端的に言えば、「この働き方・動き方の方が、自分に合っているのでは」と思い始めている。これは34歳になって、また厨二病を拗らせたがため、ではない。
そもそも論として、僕自身も分刻みのスケジュールのほうが、人生の充実度は高くなるタイプなのではないか。結構本気でそう考えているのだ。
これは能力や才能の話ではなく、脳の構造・特性の話だ。機会があれば、きちんと診断を受けてみたいとは思っているが、僕は多分、程度は知らないが多動性を持っている。
例えば、多くの人が憩いを覚えるであろう「何も決まっていない時間」「何をしてもいいが、何をすべきか分からない時間」が、僕はとにかく苦手である。
加えて、「この2時間でこれをやる」というような、ざっくりした時間の使い方も、正直かなり苦手だ。苦痛とさえ言ってもいい。
何から手をつければいいのか分からず、気づけばショート動画をザッピングしているなどして、結果的に時間を無駄にしてしまうことも多いくらいだ。
以前、とあるnoteの記事で、多動性の診断を受けている人が、最も落ち着く働き方について自己分析をまとめたものを読んだことがある。
僕もそれを意識的に真似しているのだが、これが驚くほど調子がいい。作業を細かく区切り、短時間で一気に終えていく。すると結果的に、全てが早く終わり、無駄も減る。
例えばこのブログを書くという作業も、2分で段落1つ仕上げるという風に分割し、それが終わったらまた別のタスクへ移行する、という忙しなさで取り組んでいる。
繰り返しになるが、25分バツっと1つのことに集中するより、2分でできる作業を12回やる、という方が、同じ25分の過ごし方でも収まりの良さが全く違う。
もしかすると、分刻みのスケジュールで生きている人たちは、周囲からの圧力でそうなったのではなく、単純にそのほうが自分に合っているだけなのかもしれない。
分刻みのスケジュールとは、もはや非現実的な理想像ではなく、僕にとってはかなり等身大で、それでいて非常に実用的なものなのかもしれない。
もし似たタイプである自覚があるのなら、試されてみるのもいいかもしれない。では今日はこの辺で。