精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

自分の心の声”もどき”はスルーしちゃいましょう。

「最初のリアクションは意識的に無視する」という考え方がある。これを知ったのは、千原せいじさんの書いた『がさつ力』という本だった。

 

彼曰く、例えば知らない人に話しかけた際に、幾ばくかの警戒や驚きを与えるのは仕方ないのだから、”身構えられたらどうしよう”なんて、考えるだけ無駄なそうなのだ。

 

こういう風に、誰がどう伝えても返ってくるであろうリアクションはほぼ差がなく、いわば生物特有の本能であり、ほぼ完全に予測可能だと思われる。

 

ならばそれはもう「折り込み済み」として扱って、そこは無視していい。そこに感情を高下させず、勝負は二手目からに置くべし、という考え方だったと記憶している。

 

この話は、当時も妙に心に残ったが、時を経た今も、強く腑に落ちている。実際人間の反応の中には、熟考の末ではなく、ほとんど反射のように湧いてくるものがある。

 

それはいわば扁桃体由来の、生理的・感情的な反応と言ってもいい。そういうものは、
真面目に取り合ったところで、建設的な結果につながらないことがとても多い

 

同じ心の声であっても、真面目に取り合うべきものと、徹底的にスルーすべきものは、全然別物であると思うのだ。今日はそれをテーマに以下、記事を書いてみる。

 

 

ポップアップ広告みたいな感情の疼きに気を取られることなかれ。

 

正直に書くと、この部分を書いている今このときも、「絶えず生じる自分の心の声の”無責任さ”」を実感している。本当に、なんというか、鬱陶しいのだ。

 

この記事は、職場に向かう途中で、レコーダーに音声を吹き込んで文字起こしし、それをChatGPTに校閲してもらったものを修正することで、この草案を作っている。

 

正直家を出る直前まで、今日の仕事は本当に億劫だった。早出というのもあるが、それ以上に、今日来る生徒の中に一人、正直かなり扱いづらい子がいるためだ。

 

その子は小3なのだが、一問でも間違えると途端に不機嫌になり、ひどいときは癇癪を起こして泣く。もう1年半以上この有様なので、精神の成長が遅い気もしているが‥。

 

「今日はその子が来る日か」という、あの特有のだるさが、家を出るまで確かにあった。せめて不機嫌はいい、癇癪は止めてほしい、クレームになるからな、と。

 

ただ、家を出た瞬間、それはすっと消えた。実際にそのこと向き合うとちょっと反応することはあったが、基本的にはほぼ気付かないくらい薄く、それは遠ざかっていった。

 

そこでふと思った。この「心の声」、特に不安や恐怖、イライラを増幅させるだけのそれに、これまで真面目に取り合ってきて、何か得したことがあっただろうか?

 

正直に言うと、一度もない。このメッセージは、「テストめんどくせえ」とかそういう類のものと、本質的にはまったく同じだ。すなわちただの思いつきに近い。

 

自分が呼び出したわけでもないのに、勝手に湧いてきて、大した意味もない情報を、これでもかとけばけばしく、眼前に突きつけてくる。

 

最近はそれを、「ポップアップ広告みたいな感情の疼き」だと捉えるようになっている。これに対しては、反応せず、ただ「×」を押す方が、正しい向き合い方となる。

 

例え自分の内側に生じた何かであっても、どうでもいいことは、本当にどうでもいい。それは冷静なときに考えれば、言われるまでもない当たり前のことである。

 

むしろそういうものに振り回されて、自分が本当に向き合うべきことや、芯からやりたいことのリソースを削る方が、よほど損だと思う。

 

一手目の反応は、無視していい。そこからどう動くか。勝負はいつも、二手目からだ。それくらいの構え方でいいような気がしている。

 

では今日はこの辺で。

 

 

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村 にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村 ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村