今日は、「毒をもって毒を制す」という話を書いてみたい。もちろん、実際にポイズンを飲むという話ではなく、メンタルの扱い方についての一側面に関する話である。
あまり詳しくは書かないが、今日、自宅にいる時間帯に、正直かなり気分が滅入る出来事があった。

簡単に言えば、「子どもが勉強しない」「成績が伸びないのはお前のせいだ」といった類の、一方的な言い分を電話でぶつけられたのだ。
正直、この家庭からのこういったことは一度や二度ではなかったし、そのときは家でYouTubeを観ていたので、それを観つつ適当に喋って終わらせてしまった。
だから、何を話したのかも、先のセリフ以外はほとんど覚えていない。覚えるに値することだったとも思わない。ただ、不快なもので、嫌な気分だけはしっかりと残る。
自分の心を傷つけられた、ぴえん・・なんてものではなく、「生理的に嫌だ」というタイプの不快感である。ドブに片足突っ込んだ感覚とほぼ同じだろう。
この手の感情は意外と切り替えが難しく、一度囚われると、どうしても引きずってしまう。イライラに近いもやもやが、結構長いこと持続してしまうのだ。
そこで最近、自分なりに立てている仮説がある。それが、タイトルにした「毒をもって毒を制す」という考え方だ。尚、ここで言う「毒」とは、別の強い嫌悪の対象である。
嫌悪は、また別の嫌悪で上書きすれば消えうる。今日はそんなことを書いてみる。
どうせ嫌なら、なにで嫌かはこちらが決める。

あまり公にしてきたわけではないが、僕はいわゆる性的なコンテンツに対して強い嫌悪反応を示す。恐怖症に近い感覚で、見ると本当に体調が悪くなるのだ。
思春期の男子が好んで見るようなものでも、僕にとっては、今日の電話を受けたときと同質、あるいはそれ以上に強い不快感を引き起こすトリガーになる。
・・もしかしたら、この不快を先の不快にぶつけたら、何か変わるのでは?本当にふとそう閃いたので、先ほどすごくしょうもない実験をしている。
歯を食いしばりながら、また迷惑メールが増えるリスクを承知しながら、そういうコンテンツを視聴したのだ。たかが数分だったが、これがどうにも、とてもしんどかった。
その結果として何が起きたかというと、不快な気持ち、しんどさはまだ残ったのだが、今日の電話によって起こされたという感覚は、きちんと消えたのだ。
今具合が悪いのは、性嫌悪に触れただけ。起点が置き換わっただけに過ぎないのだが、それによって、最初の出来事自体がかなりどうでもよくなったのである。
正直、まだ多少の不快感は残っているが、「あの電話が原因だ」という感覚から切り離されたことで、精神的にはかなり楽になった。毒を毒で制することができたのだ。
勿論、この方法が誰にでも通用するとは思っていない。そもそも、意図的に嫌悪感のトリガーに触れるなど、普通は勧められることではない。
それでも、どうにも切り替えられない感情に囚われたとき、別の強い刺激で上書きするというのは、一つの応急処置にはなり得る。
少なくとも、完全に受け身でダメージを受け続けるよりは、主導権を取り返す手段になる場合もある。そんなことを今、思っている。
はっきり言うが、不躾な人からの攻撃を”止めさせる”ことは絶対にできない。ツールを使って遮断するか、その人が居る場からいなくなるか、しかない。
めんどくさいことに、まだイチ顧客であることには違いないので、その場合は受け身の熟達度が心へのダメージを操作するのだと思っている。
ということで、今日はこの辺で。