精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

時には理性で感情をねじ伏せてナンボ。

相当擦り倒したネタだが、診断が付くレベルかどうかは分からないものの、少なくとも僕はじっとしている方が遥かにストレスになるタイプである。

 

そんな僕だが、この記事を書いている前日に、ここ一年で一番きつい体調不良に陥った。本当にこれは「下手すれば死ぬだろう‥」と思うほど苦しかった

 

船酔いと偏頭痛が同時に起きているような最悪の状態で、薬を飲んでごまかせば夜まで持つかと思ったが、職場に来た瞬間悪化し、周りからも心配される有様。

 

流石に早退し、市販薬をややオーバードーズしたうえで、家で横になっていた。5~6時間くらい寝たら、動けるようにはなったものの、十全からはやはり程遠い。

 

・・・それにもかかわらず、僕の中のメタな部分は今日終日、こう言ってきた。「昨日できなかった分を今日で取り戻して、なんならその勢いで明日の仕事もちょっとやれ」と。

 

―冷静に考えれば、いや、冷静に考えなくても、こんな思考は異常である。酷く体調を崩して休んだ人に、「昨日休んだんだから今日は倍働け」と言うのと同じだ

 

つくづく思うが、自分の感情に当たる部分は、正直アテにならないこと”も”多い。大当たりか大外れしかないというイメージだ。今日はそれに対する一提案を書いてみたい。

 

 

時には理性で感情をねじ伏せてナンボ。

 

つくづく自意識というものは不思議なもので、自分相手だと平気でそういうブラック・パワハラ極まりない無茶な要求を突きつけてくる。これはさすがに容認できない。

 

感性を大事にするのはいいと僕も思うのだが、衝動に従うと例えば暴飲暴食とか人間関係の崩壊とかに繋がるように、その扱いにはかなりの注意が要るとも思っている。

 

それは今の僕も割と同じだ。上記の例のような破壊力は無いにせよ、こういう自分を徹底的に叱咤する声に従うことは、それはそれで心身という器そのものを壊しかねない


だから今は、必死に理性でブレーキを踏んでいる。正直、体調は良くないという自覚がありつつも、同時に「うるさい動け」というメタからの指令も聞こえている。

 

例えば、「本なら読めるだろ」「細々した作業ならできるだろ」「生産性のある何かをしないとか、意味あるのか」という風に。やはり暴虐である

 

だが、僕はそれに対して「うるせーバーカ!」ということ以外の感想の一切を持たないようにしている。どう考えてもその声の方がおかしいからだ。

 

「今日は、コンビニ飯を買って帰って、帰宅早々就寝準備をして、普段より一時間早く寝る!以上!生産的なことなんか、死んでもしない!」と固く誓っている。


いわば、理性の側から、感情の声と本気で喧嘩するつもりで腹を括っている。衝動的な部分に対して、時には流されず、理性でどこまで踏みとどまれるか。

 

感情は大体正しい、直感の7割は正しい、そんなヒントや指摘もあるが、僕の感覚ではこのような強い声の正答率は、良くて五割である。


残りの半分は的外れも良いところなので、しっかりと冷静に分析し、勘定し、その上で違うならば「バカか」と突っ込みを入れてねじ伏せ、行動をハックするしかない。

 

理性である部分がそう決めたのだから、感情の部分は黙ってろ、という話なのだ。感情的になると身を滅ぼすというが、それはこういった自壊という意味も含んでいる。

 

そう思えてならない。自愛という言葉には、意外とこういった、アグレッシブかつポジティブな向き合い方もあるんだなと、改めてそう思った。

 

ということで、今日はこの辺で。

 

 

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