精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【英文読書ルーティン日記263】"START WITH WHY"再読感想ブログⅨ ~コミュニティと人類の進化~

【WHY】を突き止めるということは、比喩として妥当かどうかは難しいが、ブラックホールを見ようとするのに近いと思っている。

 

そこに入りこめば、光だろうと抜け出せない、超高密度の闇。理解を徹底的に拒む特異的な場所。言語化が叶わない深層心理のメタファーとしてしっくりくる。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

結局僕らが知れるのは、その輪郭が限界なんだと思っている。”そこ”に在ることは解るが、”それ”が何なのかは潜在意識の奥底に刻まれたまま。

 

しかし、輪郭だろうと、その形が見えることはすごく救いにも励みにもなる。本来造形が存在しない仏様を、仏像という形に落とし込むように。

 

それで十分だと認識し直し、腐らないようまた読み進めたいと思う。

 

 

1月5日(月) 君の周りは楽しそうかね?

楽しく働く。心掛けとしては大切だと分かるし、なんなら陳腐な響きさえ感じるフレーズだ。

 

だが、あなたのいる場所で働く人は楽しそうか、と問われると、少しギクッとする感覚を覚える

 

目の前のことに必死になる。それ自体は悪ではないが、そこから緊張感や不満が張り詰めたら、校舎としてどうだろうか?

 

あくまで僕らしく立ち振る舞いつつも、「ここがいい」と思ってもらえるにはどうすればいいか。次に考えるべき難問がまた見えたように思う。

 

1月6日(火) 「Being」

 

ある怖い実験がある。「女は数学ができない」と思っている教師がいるとして、そいつが受け持つクラスがどうなるか、という観察だ。

 

実際、「ただそう思い込むだけで、現実がそうなる」という傾向にあるらしい。これは怖い話だ。

 

リーダーが猜疑心を持てば、周りも持つ。講師が生徒の限界を感じると、本当にそこがリミットになる。

 

無条件に、というのはなかなか難しいが、先入観も期待も捨てた中庸な目線で心を健やかに保てるかが、僕の在り方の肝に思えてきている。

 

1月7日(水) 「俺の理念が嫌なら去れ」

組織の立て直しを図る際に、まずやるべきことは、「理念の明示と、それに合わない存在の排除」なのだという。これは身が引き締まる思いがした。

 

共感をベースに全てを組むなら、”嫌い・合わない”といった評価を受けつつも、それを意に介さない芯の強さが求められる。あまりにも激しい成長痛の一つだ。

 

ひとり、またひとりと自分から離れていく痛みに耐えつつ、それでも残った人と、新しい文化・コミュニティを創造する。僕にそれができるだろうか。

 

ただ、それをしないと、それよりは弱いが永遠に続く責め苦に耐えていくことになる。どっちの嫌を、僕は選ぶのだろうか。考えは尽きない。

 

1月8日(木) 同じ船に乗ろう、と誘うなら果たすべき責任がある。

 

かじ取りをするリーダーが、真っ先に示さないとならないものは何か。覚悟だろうか。それとも?…思うに、それにプラスして、シンプルな実力や実績だと思っている。

 

西野亮廣氏のブログにもあったが、「俺はストーリーをやるから、面倒なところはお前らよろしく」という外注だと、一瞬でナメられて終わりだそうだ。

 

そうではなく、相手が”ちょっと手を抜いた”際に、徹底的に指摘してぼこぼこにするくらいの懐刀を持つことが極めて大切なのだという。

 

「弱い犬ほど吠える」という格言があるが、それを経験則として知っている相手は本当に手強く、かつ頼もしい。

 

そこに行き着くために必要なのが自分への厳しさであるなら、僕もそうありたいと強く思っている。

 

1月9日(金) 僕らはコミュニティを形成して地球を支配した。

 

霊長類ヒト科ホモサピエンスだけが、なぜこうも地球上にあまねく君臨することになったのか。サピエンス全史にもあるが、やはりそれはコミュニティの力だろう。

 

虚構を”あるもの”として扱い、それを基に100人以上の群れを形成し、やがてそれはムラになりクニになり、帝国になっていった。そう考えれば、桁外れの能力だ。

 

よくよく考えたら、WHYの発信とそれによるコミュニティの結成は、人類が活用してきたスキルと全く同じ構成だ。だからしっくりくるのである。

 

また一つ、新たな側面から、一つのヒントが腑に落ちた。

 

1月10日(土) 合う合わないが全て。優劣は無い。

 

合うか、合わないか。結局これが全てだと僕は思っている。体験授業をやって問い合わせになるかならないかも、所詮はただそれだけの話なのだ。

 

そこを誤魔化して無理やり相手に合わせた結果、双方別に幸せにならなかったことなどザラにある。合わないならば、さようなら。これもまた一つの優しさなのだ。

 

相手に合わせて自分を変化させて駆け引きを楽しむというのは、恋愛だけでやっておけばいい話だ。自分のグループというかけがえのない存在に、それはできないだろう。

 

合う合わないが全て。それすらジャッジできないような曖昧模糊とした組織こそ、淘汰されるものである。シビアであり、優しくもある、そんな教えだと感じている。

 

1月11日(日) では僕は合っているのか?

 

今更なのだが、僕は自分が勤め人にあまり向いてないと思っている。僕自身の理念はさておき、したいことがコロコロ変わる手前、同じ方向を向き続けるのがきついのだ。

 

大体3年程前から、僕は僕のしたい・創りたい組織について、想いを馳せるようになった。それ以来、今のポジションを、一つの修行の場と考えるようになった。

 

その結果、僕は今の会社の傘下で在り続けることが、人生における最適解なのか、少し迷子になってきている。僕は、合っているのだろうか?

 

では今日はこの辺で。

 

 

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