僕は【宿題】の設計がすごく苦手だ。元々自分が、それをめちゃくちゃ嫌っていた側なので、できることなら出したくないという思いが強いためである。
しかし、教育カリキュラムが見直され、内容が難化すると同時に、効率的な方法もどんどん開発されるというイタチごっこになった今、その認識を改めようと思いつつある。

また、魅力的な塾がそうである理由は、【宿題の設計が秀逸であること】に根差しているような感じも、今は抱きつつある。自分の我を出している場合ではないのだ。
こういうときは、宿題の出し方・意義ごと”TTP(徹底的にパクる)”に限る。そう思って色々調べて気づいたことを、ここに備忘録としてまとめたく思う。
宿題というガチンコバトル。

まず前提として、宿題を巡る攻防はバチバチであり、結局はこちらの覚悟の問題で、ここが甘くて結果など出るわけがないだろうと、どこまで腹を括れるかが勝負となる。
そのことは”どの記事の執筆主も書いていた”ことから、これは必要不可欠な信念なのだと思う。これを読んだだけで、思い切り背筋が伸びる感覚があった。
以下、テクニック面の話が主となるのだが、小賢しい真似に終始するのではなく、あくまでの上記の覚悟ありきというを踏まえて、読んでもらえればと思う。
そもそも論、宿題を”したいやつ”なんてのは基本的にいない。隙あらばサボろうとするものだし、適当にやってOKならそれでいいじゃないか、という節もある。
そこを正面突破でナンボというのが多数派の意見で、宿題をしないという状況における原因の9割は、「こちらがナメられている」ことに他ならないという声もあった。
とはいえ、いわゆる体罰は愛ある拳ではなくパワハラになってしまう世の中で、いかにして暴力的なことに頼らず、やってこないことを詰めていくかが職人技のようだった。
例えば、平和的な解決を望むなら、本来やってほしい量より2割増しで提示して引かせ、その後本来のボリュームに”減らしたようにみせて”解決する人もいた。
また人数次第だが、量を”自分で決めさせて”、”自分の口で”ここまでやる、という言質を取るという人もいた。これもこれで、心理学的な理に適っている。
ただし、宿題はやはり、出して終わりではない。むしろ、提出時こそ、ナメられるか、張り詰めた空気を作れるか、その分かれ目になると見ていい。
毎回やってきた宿題をチェックし、フィードバックする。ここは、している・していないだけでなく、その字の綺麗さ、正答数の不自然さまで、必ず目を光らせる。
それくらい緻密な記録を残しつつ、それでいて、やってこなかったら際のペナルティをどこまで本気で示すかが、十人十色で面白かった。
よくあるテッパンの言い訳は、「やったけど忘れた」「ノートは学校にある」といった類のものだが、そこで折れず、”一度やったなら今すぐやってもできるよな?”と返す。
そして”授業の開始を遅らせてでも”目の前で宿題をやらせ、その出来が不甲斐なければ、スイッチが入ったひろゆきの如く鬼詰めをするというおっかない人もいた。
あるいは事前に、「本当にやってても、提出できなかったら居残りor別日に自習しに来る」という約束を取り決めて、親にも伝達し、意地でも逃がさないという作戦もある。
他にも、「宿題の本髄は、学習習慣の構築もそうだが、前回の単元の内容を定着させること」と割り切り、毎授業時に、定着テストの実施をする塾もあった。
あるいは徹底的にスケジュールを作成し、それに沿っているかをコーチングする塾もあった。表面的な理解でしかないが、僕はこのスタイルを、”素敵だな”と、ふと思った。
終わりに。

意外でもなんでもないのだが、宿題についてもいろいろな研究が行われており、その一つとして以下のような指摘があった。
米国の国際教育調査では、宿題の量や内容が学力に与える影響について、さまざまなデータが報告されています。
特に、アメリカ・デューク大学の心理学者 ハリス・クーパー教授(Harris Cooper) は、過去の宿題研究をまとめたメタ分析を行い、宿題の効果に関する傾向を明らかにしました。
宿題には一定の効果があるが、量が多すぎると逆効果になる
1日の最適な宿題時間の目安は「学年×10分程度」
(この基準はアメリカの学校制度〈Grade1〜12〉に基づくもので、日本の小1で約10分、小6で約60分、中3で約90分が目安とされています)
宿題は多すぎると逆効果。毎日学年×10分の勉強で収まる量にすべし‥。これらはあくまで、データとして扱い、”宿題を減らしていい理由にはならない”と思い直せてきた。
宿題は、講師と生徒の拳を交えないガチンコ勝負。この構図が、僕に一番刺さった。早速今日から、そのスタンスで、相対してやろうと思う🔥
では今日はこの辺で。