今日は、「自分の体力は思っている以上にあるのではないか」という仮説について、少し考えてみたい。
僕は今年で35歳になる。もう若者枠ではないのは確かで、実際、体に不調が出れば長引くし、怪我の治りも明らかに遅くなった。

そういう実感をひしひし感じている手前、ここ1年ほどは「もうおじさんなんだから」という前提を、無意識のうちに自己暗示していた気がする。
ただ、最近になって、その前提自体が間違っているのではないかと思うようになった。むしろ広い意味での【体力】であれば、僕はまだまだ高水準なのではないかと。
そう思うようになったきっかけは、まさに今日の話にある。朝からずっと仕事をして、退勤の時間になっても、なぜか強い不完全燃焼感が残っていたのだ。
まだまだ身体も動くし、疲労自体が、1日を終えるにはあまりにも足りない。それがやたらともったいなく感じられ、正直帰っても寝るしかない現状が、もどかしかった。
なんなら、帰宅後に筋トレをしてもいいくらいの余裕すらある。とはいえ、今日はすでに8時間は仕事をしている手前、頭のリソースははっきりと使い切っている。
集中はできない。だが身体は動く。だからもどかしい。これを説明しようと思ったら、自分の体力が思った以上に多いという風に考えるのが自然だ。
ということで冒頭が長くなったけど、以下それについての本題である。
まだやれるのに寝るのは嫌!

家に帰ってしばらくしてからこの記事を書いているのだが、やはりどうにも、「まだ余力が残っている」という感覚がとても強い。
このもったいなさを抱えたまま、明日に持ち越せない体力をどこか持て余しながら、無理矢理寝るしかないのかという、ちょっと憂鬱な気分にもなる。
なぜこんなに体力が余ったのか。その仮説は、今朝のスタートにある。普段は起きたら散歩に出かけて筋トレをするのだが、今日は頭が痛く、それを回避したのだ。
片頭痛発作が一度起きれば終日尾を引いて、体力もクソも無いのだが、今日は患部を冷やすという民間療法がとてつもなく作用し、人生初レベルの速さで鎮まったのだ。
1日の序盤で体力を温存していたのに、健康自体が途中で取り戻せた。あたかも病気で学校を休む連絡をした1時間後に、体調が完全回復したかのようである。
ここまで書いてふと思い出したが、「1日の序盤である程度の疲労を感じていた方がいい」という話を、佐渡島庸平氏が『観察力の鍛え方』に書いていた。
そうしておくことで、夜はすっと眠れる‥という話だったと思う。ただこう言う風に、体力を使い切ることが要と指摘する人は、例えば堀江貴文氏も同じだ。
彼もまた、起床後20分の時点でシャワーを済ませ、身支度を終えて、ホテルから飛び出るほど目覚めがよく、そのまま夜までずっと仕事か遊びで詰まっている。
だから不眠知らずとの談だった。もちろんある種の天賦の才を持つからこそできる御業という側面はあるが、僕も多分ベクトルは同じタイプなんだと思う。
僕の場合、朝が弱いという弱点があるが、「実は体力がそこそこある」という前提に立って、1日の序盤でタフな運動を入れるというのは、非常にいいことのように思える。
もともと僕はスポーツマンではないのだが、そういえば子供の頃は、ロクに鍛錬した覚えが無いのに、誰よりも持久走が早いタイプだった。何かルーツがあるのだろうか。
生まれ持った性質としては、むしろ得をする部類だろう。そう考えると、うまく使わない手はない。ということで、今日はこの辺で。