これまで何度も、「区切りをつけたい」「ある程度までいったら手放したい」という話を書いてきたし、かつ、自分でもその考えにはかなり納得している。
ただ、ふと気づいたのだが「どういう状況を達成したら、自分は引退を自然に受け入れられるのか」という“終わりのライン”を、ちゃんと考えたことがないようにも思う。

とはいえ、そのラインは、実はかなり具体的だ。端的に言ってしまえば、「自分が関わらずとも、健全で活発な運営ができている状態ができていたら」である。
一人ひとりが「ああでもない、こうでもない」と前向きに意見を出し合い、授業や業務が自走している。かといって無駄な会議も軋轢も、特にない組織。
かつ、何かが起これば、自然に誰もが当事者意識を持ってフォローに入り、僕が発破をかけなくても、講師・生徒全体のモチベーションが高い状態が保たれている。
さらに、生徒数も安定し、賞与をきちんと支払えるだけの売上が立ち、募集・問い合わせも途切れることなく、なんならキャンセル待ちレベルのペースを保てている。
そういった数字の上下に一喜一憂するフェーズを抜け、「もう大丈夫だな」と言える状態に到達している。安心と安全が担保された場所。そんな状況を達成できた暁には・・・
多分、僕は色々な意味で、”辞める”だろうなと思う。今日は以下、そんな話をまとめてみたい。
完成したら、プレゼントしたい。

そこまで“安定してしまった”状態にすることを目指し、日頃から創意工夫を凝らすこと自体は、非常にチャレンジングであり、やりがいを感じられることだと思う。
それはゲームで言うなら、平和な世界を取り戻した後のエンディングを目指して、クエストを次々クリアするようなもので、面白くないわけがないことだと言える。
だが、その状態に「居続けること」には、僕はあまり興味がない。エンディングを観てしまったゲームにずっとハマれないように、僕はいずれ必ず飽きてしまうだろう。
だからその時点でキッパリと割り切り、誰かに託したうえで別の役職に挑戦しているかもしれないし、あるいは今の業界から完全に距離を取っているかもしれない。
いずれにせよ、「ここまでやり切ったな」という感覚を強く覚えた瞬間こそが、僕の引き際なのだと思っている。
そう考えると、今やっているように、塾講師としての人生に一つ大きな区切りをつけるために、身を削って仕込みをしているといえる状況も、何ひとつ違和感は無い。
ゲームの例で言えば、エンディングを観るために日々全力でレベルを上げて、魔法を覚え、新しい作戦を試しては反省・検証を重ねているようなものだ。
やはりおかしくはないし、むしろ筋は通っている。そんな景色が見られたら最高だ、自分は何を思うのだろう。それを”知った”ならば、それに固執する必要性はない。
誤解を恐れずに言えば、僕は徹底的に、「到達してしまったら刹那に興味を失うタイプ」なのだと思う。だからこそ、そここそが、引退すべきタイミングになる。
ああ、なるほど。自分はそこを目指しているのか。まぁ、わかっていた話なのだが、こうして冷静に言葉にすることで、それをきちんと追認できたように思う。
僕なりのエンディングとは、巡り巡って関わってくれた人全ての幸福にも繋がっている。そう思えば、人生丸ごとかけてそれに投資するのは、理に適っているとも思う。
そうだなぁ。来年の今頃には、僕なりのエンディングを観れている状態に在りたいな。そろそろ、このゲームの最終章に辿り着いていてほしいと、そう自分を信じたい。
では、今日はこの辺で。