精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

2026年、徹底的に学びたいモデルとは。

2026年が始まって、三週間ほどが経った。この年は僕にとって”特に大切な年度にする”と決めているため、今考えている”ある目標”について、書き留めておこうと思う。

 

もともと僕は、「講師としてどう在りたいか」というイメージについて、世間でよく言われるような“カリスマ講師”像といったものとは、明確に違う方向を思い描いてきた。

 

度々書いていることだが、以前よりやはり、コーチとして、関わった生徒がより成長したり、最高のパフォーマンスを発揮できたりするよう支える側に回りたい

 

この気持ちはずっと強いままであり、何年経ってもそれが薄まらない以上、このベクトルこそが自分には正しいのではないか、と確信に変わりつつある。

 

それを踏まえてこの2026年、真剣に、徹底的に学びたいことがある。ということで以下、それをつらつらとまとめておこうと思う。

 

 

どうしても憧れてしまう関係性。

 

実際、優れたコーチが、選手やクライアントと向き合い、嬉しいことも悔しいことも共にしている姿を見ると、どうしても自然と感じ入るものがある

 

それは頻繁にあるわけではないが、心の底から「羨ましい」「尊いものを見ている」と感じる瞬間がある。俗的に言えば、これこそ僕の”やりがい”ではないか、と。

 

一方で、だからと言っていわゆる“手取り足取り教える”タイプの関わり方は、正直なところ、今の自分がやりたい講師像とは似て非なる物だ。

 

自分を頂点に据えて、後輩を大量に作り、慕われる存在になる。そうした構図に、僕はどうしても強い違和感を覚える。正直に言えば、かなり気持ち悪いと感じてしまう。

 

それよりも、自分より高い場所へ相手を引き上げること。自分を超える人間を育てること。そうした考え方に、僕は強く共感している。


言い方は良くないが、「誰かが一流になるための踏み台になる」くらいの立ち位置の方が、しっくりくる。自分より秀でた存在を育成出来たら最高ではないか、と。

 

それが誰のための行為なのか、と問われれば、スパッと回答するのは難しい部分もある。自分の過去を肯定したい、という気持ちがゼロだとは言えないだろう。


それでも、どちらかといえば、「子どもの頃の自分にいてほしかった存在に、今なりたい」という想いの方が、最近は自然に、心の底から湧いてきている

 

それこそが僕にとっての”なりたい講師像ならば、それをどう呼ぶかと考えたとき、やはり「コーチ」という言葉が一番近いのではないか、と今は感じている。


号令をかける存在でも、支配する存在でもなく、弟子から心酔される師匠でもなく、伴走し、引き上げる存在。僕はやはり、こう在りたい。

 

その一環として、プロ野球の監督論やマネジメント論にも触れてみたが、集団を率いる話としては学びが多い一方で、どこか自分の感覚とはズレているとも感じた


それよりは、別の呼称を取るなら、パーソナルトレーナーのような関わり方の方が、今の自分が目指しているものに近いのかもしれない。

 

自分にとっての北極星らしきものが、はるか彼方にボンヤリと見えているような感覚だ。多分あっちにあるんだろうけど、何がどれくらい先に在るかが不明瞭な段階。

 

このあたりについては、もう少し学び、整理できた段階で、改めて言葉にしてみたいと思っている。だが、それをだらだら考える時間はあまり無いな、とも思っている。

 

では今日はこの辺で。

 

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