精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

僕はゆとり世代だけど、実は”ゆとりある時間”が大嫌いである。

今日は何度目の告白か分からないが、僕の潜在意識は「ゆとり」という時間をめちゃくちゃ嫌っているのではないかと、やっぱり感じている。

 

これまでも何度か書いてきたが、僕は「朝活」に人生で一度も成功したことがない
正直、これからもできる気が全くしない。

 

どうやらこれは性格なのか体質なのか分からないが、僕はそもそも、世間では推奨される「ゆとりを持った行動」が極端に苦手である。

 

例えば、14時に待ち合わせ場所に着いていなければならないとする。社会通念上、15分前たる13時45分には到着していたい。

 

そこから移動に必要な時間を差っ引くと、家を出るべき時間が解り、それが決まれば身支度をいつからすればいいかも計算できてくる。そこまでは良い。

 

だが例えば、前倒しで準備を進め、予定時刻の1~2時間前には身をフリーにしておく‥ということが、僕にはどうしてもできないのだ。

 

正直、退屈な時間が生まれるくらいならギリギリまで寝ていた方がマシだ。理性では「早く準備するのが大切」と思っているのに、本能の方がそれを拒否する感じなのだ

 

先の例だと、別に前倒しせずとも間に合うと”理解している”以上、それより前に行動する意味を、脳が見出せないのである。ゆとりを決して許容しない感じ。

 

今日は以下、この続きから、記事をつらつらしたためていく。

 

 

理性が感情的で、感情の方がリアリストである。

 

ここまで書き直して気づいたが、僕の顕在意識の方がむしろ感情的であり、潜在意識の部分の方がリアリストな思考をしているようだ。

 

僕は普段、一応目覚ましを、家を出る時刻の3時間前にかけている。しかし、95%くらいは、どう頑張っても二度寝してしまう。

 

8時間睡眠、9時間睡眠も試した。だが、結局起きられない。その理由は簡単で、別に早起きしなくても準備が間に合うことが、自分で自分にバレているためである。

 

焦る意味など何一つない。僕にとって起床後の時間は、ゆったり過ごすべき至福の時なんてものではなく、ギリギリまで惰眠に費やした方がマシな枠なのである。

 

僕にとって朝5時に起きてヨガをする…などというのは、ほぼ異世界の論理だ。もちろん、できたらいいな、とは思う。しかしそれは、意識が高い人への憧れでしかない

 

つまり、自分が”本当に”望んでいる行動ではないのだ。だから心にも響かない。僕の潜在意識の方は、どこまでも怠惰に思えて、非合理性を許さない頑なさがある。

 

正直に言えば、1時間早く出社して、誰も居ない静かな空間でその日の作業の8割を終わらせられたら、どれだけ心健やかだろうと夢想することはある。


だが残念ながら、別に1日の序盤でカツカツになったとしても、定時で帰れない日の方が稀なので、「できたらいいかもね」程度の願望でしかないのだ。

 

この点については、経営者・ビジネスマンとして二流・三流なのかもしれない。実際、毎日は思ったよりスカスカであるし、加えて、僕は低血圧で、睡眠への依存度も高い。

 

体質的にも、朝に弱すぎる。それもあって、遅刻寸前のときか、釣りやキャンプなど、明確に楽しく充実した目的があるときでなければ、そもそも起きる気にならない。

 

もとい、起きようという意思自体が湧かないのである。最近は、こうした潜在意識と正面から戦うことを、半ば諦めている。20年以上、一度も勝ててないからだ。

 

それもあって最近はもう、無理に矯正するより、折り合いのつけどころを探す方が現実的だと感じている。

 

結局のところ、僕は「余裕のある朝」よりも、「ギリギリで動く生活」に適応してしまっている人間なのだろう。それを前提に1日を組み直す方が、建設的なようだ。

 

あまり参考になる話ではないかもしれないが、今日はこの辺で。

 

 

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