精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

僕がずっと考えていた【区切り】、それは「でていくこと」のようだ。

僕はこの1年を、「区切り」として、重大なものとして位置付けると常々公言してきた。だが、それが具体的に何を意味するか、実はつかめないままでもあった。

 

正直数年単位で考えあぐねていた”問い”なのだが、これを書いている1月28日という今日、なぜか急激に、そしてはっきりと、それが結晶化するような感覚を覚えた

 

結論から言えば、それは【独立】だ。僕が考える「区切り」とは、一介の講師という生き方を仕舞いにして、 この決断の準備を整え切ることである。そう納得している。

 

思えば昔から、僕は独立したほうがいいのではないか、と考えてきた。それは波があり、ぼんやりと思っていた時期もあれば、真剣に考えていた時期もあった。

 

だが、繰り返しになるが、今日この日をもって、この1年をその準備期間に充てると、明確に定められたと感じている。かつてないほど、腹落ちした感じがあるのだ。

 

それはなぜなのか?もっと具体的に、何を自分は考えているのか?そういった未整理の事柄を、ここで一度、丁寧に言葉にしておきたいと思う。

 

 

最後に背中を押したもの。

 

まず、きっかけについて整理しておく。率直に言えば、それは孤独感だ。ただの厨二病に聞こえるかもしれないが、要は話が合う人が、社内にいないと感じている。

 

僕の頭の中にある構想や理念、考えていることに対して、興味を持ったり、あるいは茶化さずにいてくれたりすると思える人が、正直いない。

 

むしろ、「雇われなんだから、そこまで考えなくていいんじゃないか」と言われそうな空気を感じている。その時点で、かなりのズレと、ストレスが生じている。

 

こんな状態が何年も続けば、自然と悟る。こういう”浮いた”状態が続くことが予想できるのなら、いっそ自分の組織を持ったほうが早いのではないか?

 

そう思ってからというもの、僕が感じていたズレは、今や断層の如く拡大し、無視できない大きさになっている。心の中にそれは、確実に存在している

 

今の組織の雰囲気とのズレも然りだ。周囲のスピード感や温度感、方向性、そして僕に求められている役割。そのすべてに、日々強まる違和感を覚えている。

 

実際、最近、僕の配置替えの話が出ているらしい。週一とはいえ、ほとんど関係のない校舎に派遣する案があるそうなのだ。その話を聞いた瞬間、正直かなり冷めた

 

なぜ今、このタイミングで僕を分散させるのか?薄々察しているのだが、僕は「便利屋」「マルチ要員」として期待されているのだと感じる。辟易する評価だ。

 

では、その専門性を活かし、英検準1級とか、難関大対策だけ、担当すればいいのか。僕の価値観や矜持を踏まえるなら、それも違うと感じている。

 

自分のやりたいこと。周囲から求められていること。自分の立場。そのすべてが反発し合っている感覚がある。磁石の同じ極同士を無理矢理押し付けているイメージだ。

 

そして、今はその拮抗が崩れそうになっている。すると、反発という強いエネルギーが生じ、僕自身はどこかへ吹っ飛ぶだろう。その先こそ、僕は「独立」なのだと思う。

 

これは一つの自棄なのだろうか?しかし、自棄にしては3年も考えたり悩んだりしたのだから・・それで片づけられるのも失礼なことだと思う。

 

ただ、もう均衡は崩れたように思う。弾け飛ぶのは時間の問題だ。そしてそれは、2026年の間に、ほぼ確実に起こることだと思っている。

 

先達の方の話が教えてくれたもの。

 

この決断に至った背景には、もう一つ偶然の出来事がある。それは顔見知り程度の間柄だが、とある個人塾の塾長さんから電話のアポを頂いたことに端を発す。

 

いわく、とある高校の過去問の模範解答などを読むと、どうにも腑に落ちないことがあるのだが、それを語り合えそうな人が僕以外にいないとの談だったのだ。

 

これは面白そうな機会だと思ったので、二つ返事で了承し、そして日を改めて、その問題について感想を伝えあい、「この解答は是か非か」などを考え合ったものだ。

 

ひとしきり盛り上がったあとで、ふと言われたセリフが、今も僕の心にすごく残っている。それは、ざっくりいうと以下のような内容だ。

 

「なぜ、これだけ考えていて、英検といった資格もあるのに、あなたは一介の雇われなんですか?」というものだ。これは賞賛なのかなんなのか、真意は判らないけど。

 

ただ、”個人塾塾長”という立場の人からこの指摘を受けたことで、正直色々と考えさせられたのは間違いない。自問自答は、それこそ今も止むことが無い。

 

組織の中で役職を持つことが、本当に自分の最善の貢献なのか。僕は誰に、何にコミットすることで、自分の力を一番生かせるのか。仕事における楽しさとは何か。

 

その答えも、今まで以上に曖昧模糊として、全く分からなくなってきた。むしろ、暖簾分けという形で独立し、外から売り上げを還元する方が、いいのではないか。

 

正確に言うと、答えははっきりと見えているが、そのプロセスが掴めないのだ。結果はどう考えてもそうなるけど、その証明が全く導けない数学の問題のようなものだ。

 

とはいえ、ここまで自分の深層に根ざした判断である以上、自分でも意外だったに違いないが、もう誤魔化せないとも思う。これ以上、”嘘をつくことはできない”。

 

―ここで思い出すのが、吉本隆明氏の『転位のための十篇』の一節である。

 

ぼくはでてゆく
冬の圧力の真むかうへ
ひとりつきりで耐えられないから
たくさんのひとと手をつなぐといふのは嘘だから
ひとりつきりで抗争できないから
たくさんのひとと手をつなぐといふのは卑怯だから

tamariris.exblog.jp

 

・・・すべてを読み込んだわけではないが、この言葉は、今の自分に強く刺さる。読み返すたびに、揺さぶられる感覚がある。

 

今は静かに、だが完全に、僕にとっては勝負所である。自分の人生にとっての、大きな分岐点だ。そう強く感じている。だが同時に、どこか高揚する感じも、覚えている

 

・・・結局整理はままならなかったけど、今日はこの辺で。

 

 

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