精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

なぜゆえに僕の選択は【独立】なのか?

【独立】。昨日の続きになるのだが、つくづく思い返すと、こんなことを考えるようになった自分が、自分でも正直不思議である。

 

「一人で独立する」とか、「自分の組織を持つ」とか。そんな言葉は、これまでの人生を振り返っても、一度たりとも本気で考えたことがなかったはずだ。

 

それなのに今は、それが自分の中で、ほとんど“北極星”のような位置にある。昨日感じた、あの妙な痺れのような感覚も、まだはっきり残っている。

 

それもあってか、今日は色々と気合が入りすぎて、気づけば一時間半も残業していた。我ながら、一体何がここまで自分を動かしているのか、掴めないところもある。

 

とはいえ過去の全てを手繰り寄せて、ひっくるめて考え直してみると、ひとつ思い当たるものがあるのに気づいた。今日はそれを厨二全開で書いてみたい。

 

 

僕の成し遂げたいことのルーツ。

 

それは、「『お前は間違っている』と言ってきた人こそ間違っている」ということを、意地でも、是が非でも、正面突破で証明したいという感覚だ。

 

正直に言えば、この気持ちは、僕の中ではかなり強い半沢直樹ではないが、大して理解もしていない、浅い感想を吐かれると、確かに怒りに近い、鬱憤の感情を覚える。

 

そしてこのモヤモヤについて、僕は健全な形でさえあるならば、「やり返す」ことは悪ではないと思っている。理不尽に扱われた側は、常に名誉回復を狙っていいのだ。

 

逆に、一度でも人を粗雑に扱った側は、いつでも、いつまでも、報復のチャンスを虎視眈々と狙われる側に立たされる。極論、そういうものだと思っている。

 

昔、ある場面で、”組織とそこで働く人と顧客のために”敢えて泥を被ったような決断をしたとき、僕は結果、生徒が減ったことと越権行為そのものを強く咎められた。

 

そして、当時の僕には立場がなかった。だから、黙って耐えるしかなかった。だが、今なら違う。同じことをされたら、「黙ってろ」と言うと思う

 

「責任も取らないくせに、偉そうなことを言うな」と、平気で口にしてしまいそうだ。

それくらい、今の自分は変わったと思う。信念が、よりはっきりと形になったらしい。

 

僕は、自分なりに必死に考えてきたことを、雑に扱われるのが本当に嫌いだ。そしてそれを「ふざけるな」と思い、言い方は悪いが根に持つタイプである。

 

しかも、そういう雑な判断のせいで、結局しわ寄せを食うのは現場で頑張っている側だったりする。その構図を、何度も食らってきたし、見てきたのを思い出す。

 

とはいえ、僕は別に底意地の悪い人間でもないつもりだ。僕からの”返し”に対して、「確かにそうでした。すみません」と素直に認めてくれる相手なら、普通に許す。

 

問題は、間違いを認めず、責任も取らないのに、上から語る存在だ。その被害経験が閾値を超えて、器からあふれてきているのが今なのだと感じる。

 

そういう経験が積み重なった結果として、「だったら、自分で、堂々と、全部引き受けられる立場になったほうが早い」という発想に行き着いたのだと思う。

 

独立というのは、復讐でも逃避でもなく、「今しんどい思いをしている人たちの分まで、自分が背負う」「俺が何とかする」という男気と意固地が混ざった結論なのだ。

 

一方で、「お前にそこまでの器があるのか?」と、自分で自分にツッコミも入れている。この両方が、同時に存在している。それは認める。

 

でも、少なくともひとつ言えるのは、今回の決意は、過去の自分とちゃんと繋がっている、ということだ。突発的な思いつきではない、ということ。

 

これまで積み重ねてきた違和感や悔しさや思考の延長線上に、今がある。そう確認できただけでも、今日は十分だろう。ということで、今日はこの辺で。

 

 

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