精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

子供の頃、”何している自分”を注目されたかって、結構大事な気がする。

先日、ぐんぴぃ氏を生み出したきっかけになった博士こと、ピーター上田氏の著書が邦訳されたというニュースを聞いて、すぐに買った・・という出来事があった。

 

それが1週間弱前に届いたのだが、以来毎朝コツコツと読み進めている。書かれてある内容は、論文とエッセイの間みたいな文体で、読み易いが、軽くない感じがする

 

その中に出てくる人たち(現状まだ二人だが)の過去は、僕が見ても胸の奥が痛くなるほど切なく、辛く、見ていられない居た堪れなさが垣間見えてしまう

 

理不尽に女子に絡まれて、その質問に正直に答えたら悪者にされた話など、それを経験せずに共学を卒業できたことが奇跡に思えるほどの通り魔的イベントだと思わされた。

 

―だが、このとき僕が思い出したのは、こういう胸糞悪い話とは全く別の事柄だった。それは、中学・高校と、女子と話した回数は何回あったっけ、という疑問だ。

 

トータルの時間で言えば「特に高校は10分にも満たない」と自負しているけれど、単純接触回数は何回あっただろうか。これにふと思い至ったのだ

 

それでいて、そのとき”僕みたいな日陰者が向こうから興味を持たれたタイミング”って、僕は何をしていたっけか、というところまで自然と思考が進んだ

 

もちろんプリントを手渡すときといった、事務的かつ必要な場合だったこともあるけれど、そうでないケースも、もちろんあった。

 

そしてそのケースを思い出しては指折り数えていくと、「あっ」と気づくことがあった。それは広義の、客観的で、かつ属人性・特別性のある、”魅力”に関する話だ。

 

それについてぼんやりと考えていたアレコレが、ギュッと繋がるあの感覚を、この施策の果てに僕は得た。今日はそんな、セピア色な青春から得たヒントを書いてみたい。

 

 

僕の「虚」に彼女たちは何を見出したというのだろう。

 

不思議なことに、話しかけられた記憶は、割と覚えている。これはそれくらい女子から話しかけられたことが嬉しかったという理由ではなく、完全に意外だったからだ。

 

最古のもので言えば中3の頃だろうか。給食に手巻きずしが出たときのことだと覚えている。普通は箸でちょうどいい量を取って、海苔に巻いて、召し上がるのだろう。

 

僕はそういうチマチマしたものがめんどくさかったので、一計を案じた。やってみると解るのだが、茶わんを手に持ってユサユサ揺すると、お米は段々ひと塊になっていく。

 

そして僕は、海苔を広げると、その塊をどんと落とし、具材をチョチョっと載せて、それで仕舞いにした。手巻きずしの”手巻き”の部分を思い切り割愛したのだ。

 

そのときだ。隣の席の女子から、「なんか・・・面白い食べ方するね‥」と反応されたのは。(呆れられていたのかもしれないけど)

 

それに対して僕が何を返事したか、もう覚えていないけど、そのときの反応はまだなぜか、強めに記憶の中に打ち込まれている。似た記憶は他にもある。

 

なんかの会で食べ放題に行ったときにも、似たエピソードがある。自分でも不思議なのだが、焼肉をトングで取って網に載せ、ひっくり返すうちに、ゾーンに入ったのだ。

 

僕と相対しているのは、網の上に横たわる肉だけ。周りの喧騒さえ遠ざかり、絶好のタイミングでそれを反すべく、全神経を肉の香り、焼ける音、そこに向け続けた。

 

そうやって静寂の中、肉を焼いては隅に寄せるというのを無心で繰り返していた。その時間がいったいどれほど続いただろうか。

 

その集中状態は、「マジで‥お父さんみたい、やね」と、ちょっと引き攣った笑顔をした女子に声を掛けられことで、スッと終わった。それ以外の記憶は、思い出せない。

 

また、高校生の頃、似たような性質の男と教室の後ろでFFⅩのワッカの物まねをして遊んでいたら、「それなに?✨」と、マドンナ的な人に笑顔で話しかけられて超困った

 

他にも、となれば…これは人から聞いた話なのだが、僕はスイートブールというパンに、大学生の一時期めっちゃハマっていたことがある。


覚えていないのだが、僕はとある女性の前で、「スイートブールめっちゃいいじゃないですか。2個重ねたらボールっすよ」と、頭の悪いことを言ったという。

 

それが妙に印象的だった、ツボった‥とのことだった。本当に身に覚えがないので、僕が言ったのではないという可能性も、多分にあるとは思うのだが。

 

・・・これらのエピソードから帰納されることは何か。それは、いずれも僕が、狙って”反応してほしい”なんて1㎜も思っていない、邪念の無い行動だったというのが大きい。

 

女子に話しかけてほしければ、流行りのアイドルなどの話題を仕入れ、ワックスで前髪をハネさせ、インナーは校則違反しつつ、教室で恋空でも読んでいたことだろう。

 

正直、「こうしたら会話が生まれるかも」というあまりにも淡い期待をもって、行動・オシャレを考えてみたこともある。だがそれらはいずれも、スルーされた。

 

”そうではなく”、僕がただやりたい、ただ楽しい、あるいはその考えすらない、やった当人が真意を理解できない言動、そこに反応があることの方が圧倒的に多かったのだ。

 

女子に話しかけてほしいから、米を塊にしたり、焼肉を焼きながらゾーンに入ったり、ワッカの真似をしたり、スイートブールは2つ重ねればボールと言ったりなんて…

 

発想があまりにも突飛すぎるまぬけ過ぎて天才なんて、僕が昔読んで唯一強く印象に残っている、「のろまのハンス」のハンスみたいな逸材だ。

ハンス・クリスチャン・アンデルセン Hans Christian Andersen 矢崎源九郎訳 のろまのハンス ――むかしばなしの再話――

 

・・・思うに、今の世で男女問わず、一部から強烈に支持され、フォロワーを集めている人は、良くも悪くも視聴者のことはお構いなしというケースが多いように感じる。

 

ひと昔前であればアル中カラカラことwawawa氏などもそうだろう。あの動画は、こうしたら面白いではなく、自分が好きでそうしたいという想いが全面に出ている

 

そして得てして、魅力というのは意外と、こういうアンコントローラブルなスポットスポットに、剝き出しとなって出てくるものなのかもしれない

 

自分が人から見て魅力たり得る部分はどこかなんて、自分で考えてわかる話ではない。だが、他人(特に異性)から、何を面白がられたかは、結構大事なヒントではないか

 

多分だが、そのときの自分は、あらゆる分人の中でも最も原始的で、強く普遍的なもの、つまり素の自分の発露ができていたときだからだ。

 

好きだから、楽しいから、そういった想いすら超越した、「ついついやっちゃうこと」。その中でも、人から見て「なにそれっ!」と興味を持ってもらえたこと。

 

子供の頃、”何している自分”を注目されたかって、結構大事な気がする。なぜならそれこそ、一番純粋無垢な、つまり”じぶん”なのかもしれないのだから

 

ということで思わず哲学的な文章になったけど、今日はこの辺で。

 

 

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