最近、大学生の頃に書いた日記とか、中学生の頃に書いた文集の一部とか、その辺を引っ張り出して、しげしげと読み込む時間を自然と取っている。
過去の自分から手紙を受け取っている気分になって心が落ち着く‥というのは2割ほどで、あと8割は、”そこに今は失われた何かを感じるから”である。

僕は敢えて、自分の好奇心を殺さないよう、大事に大事に、自分の感性になるべく従って生きようと努めてきた。だがそれでも、あの頃に比べれば相当薄まっていたようだ。
そう感じる理由は、過去の自分へ密にアクセスするのを繰り返したからである。当時の”素”の俺は、どこに消えた?今日はそれを探す旅の始まりみたいなことを書く。
確かに俺の文章だが、何かが明らかに、違う。

手前味噌だが、以下の文章を書いたのは13年以上前なものの、そこには今の僕には無い何かがあって、それがさりげなく輝いている、そんな感想を抱く。
題名:あのトキメキをもう一度
こないだ大学で「リア充爆発しろ!」と叫んでる女子を見ました
考えることは大体皆同じなんだね(´ω`)
最近俺と世間とで、男と女的な考え方に隔たりがあることに気付いたわけで
例えば「彼氏(or彼女)の家にお泊まり」っていうフラグが立ったとしよう
俺はもしそんなフラグ立ったとしても、「夜通しゲームでもする」とか「夜通し酒でも飲む」とか「普通に布団別々でさっさと寝る」という選択肢しか浮かばないんだよね(´ω`)
あとは「どんな人がタイプなん?」と聞かれ「〇〇〇な感じ」と返したら「お前…それは改めた方がいいぞ」と言われる
こだまでしょうか
いいえ、だれでも
理想高過ぎとかじゃなく
「何言ってんのお前」みたいなあれぇ?
アメトーークの「女の子大好き芸人」の会観たときとか、腐女子彼女。っていう本読んだときとか、独り飲みしてるときとか、ふと人肌恋しい瞬間はなきにしもあらずだが数分もすれば冷めてるという有り様
自分で自分がワカラナイヨ(^-^)
っていう哲学的思考に陥っていたテスト週間中盤
テスト週間って何か手持ち無沙汰でどうでもいいこと考えるよね
今日早速フライング気味のテストあるけど、もはや逃避の真っ最中!
俺はまだまだ自分の道を突っ走ります!
好き勝手に生きます!
公共の福祉に反しない程度に!アデュー!
・・率直に言って恥ずかしいのだが、これは確かに自分が書いた文だとすぐ理解できる。僕は基本酔ってたら長文を書けないので、これも多分素面で書いたやつだろう。
白状するなら、今も言葉を選んでいるだけで、この頃の僕が考えていたことといった思考体系は、今もきちんと息づいている。決して、死んでいないのだ。
しかしながら、この頃の僕から長い年月を経て、当時は無かった社会的責任や他人からの目を受けた結果、それはいつの間にか散り散りに引き裂かれたように思える。
一本の論理体系としてではなく、時折”ふと”、自分でも懐かしいなと思う些細な出来事に、その当時の自分を感じるだけになったのだ。
それら一つ一つは、我ながら訳がわからない。だが、不思議と心の底からの強い納得と、そして周囲の目の存在さえ消える、ある穏やかな状態がそこに必ず伴っている。
例えば僕のネクタイピンは、手作り雑貨を販売しているサイトで一目ぼれして買った、金のライオンがあしらわれたものである。(3,000円くらいだったけど)
今の僕を知る人が見れば、僕みたいな保守的な人間が、金のライオンなんて攻めたアイテムを身に着けるとは思わないだろう。僕もそう思うが、とても気に入っている。
またある時は、釣りをしに防波堤に行った際、バーナーと鍋も持参して、その場でお湯を沸かし、カップラーメンを作って食べた。昔からしたいことだったからだ。
こういった些細な「トキメキ」と、「それに従ってみた結果得られた幸福」は、いわば素数と同じで、完全にランダムなタイミングでしか僕の人生に現れてこない。
それらを繋げても、パターンらしいものが浮き出てこないのだ。ただそれは正直、その母数と、僕自身の観察力が足りていないだけ、という気がしている。
素の自分は、決して死んでいない。ただその発露の仕方を忘れてしまっているだけなのだ。数値が点在しつつも、それを一気に導く公式が忘れ去られたようなものだ。
この”公式”を、今の自分がはっきりと認識し、そして言葉にして今の自分にインストールできれば、何かこう、一つ上の自分に至れる気がしている。
熟達論の段階で言うなら、【型】を練りに練って【観】・【心】に届いたところで完全に頭打ちとなった結果、【遊】に戻ることで壁を超えられる感じ、だろうか。
本当に気づけば最近、大人がドンキーコングを語る動画や、アル中カラカラの無茶苦茶だけど本当に楽しそうな動画ばかりが視聴履歴に並んでいる。
周囲からの見下し、「大人なのに」という冷笑、そのどれもを恐れていないというか、「そんなことより好きなこと話させて!遊ばせて!」が勝ってしまう状態。
あれに心底憧れる。僕も混ざりたいなと、強く思う。そのためには、自分の本性をきちんと”取り戻す必要”があるに違いない。
【仮面の告白】執筆開始時、三島由紀夫は「自分を生体解剖する」という覚悟で自己分析を行った。僕もそうして初めて、失われた僕が取りだせるのかもしれない。
暫くは、たとえ懐古厨と言われようと、”過去の自分”の痕跡を辿り、いずれ辿り着きたいと思っている。どこに・・というのは、今の僕も知らない話だ。だから目指したい。
そんなことを思った、休日出勤後の一幕であった。では今日はこの辺で。