今日は、少し“胡散臭い”響きだけど、「仕事ができる人を目指すことは、全く悪いことではない」という話を書いてみたい。(ただし、”目的さえ明確なら”。)
正直に言えば、社会人になりたての頃、僕は仕事ができる人に憧れていた。正確に言うなら、仕事ができると評される妄想に、羨望を抱いていた、という方が正しい。

それは純粋なカッコよさもあったが、何より「仕事ができると思われていれば、邪険に扱われにくい」「一定のステータスが保証される」という下心に支えられてもいた。
だがその理想は、社会人になってちょっとすると、脆くも崩れた。なんというか、他人からそう思われたいがために頑張ることは、不毛だと気づいてしまったのだ。
そこからしばらくは、マッチョな働き方に別段憧れることもなく、いわば常に「4位くらいの働きっぷり」でもいいかと、どこかヌルく構えていた時期がある。
だが、他人の意識はいつも突然変わるから面白い。数日前から急に、「仕事ができる人」に対する印象と、その捉え方が、変わってきているのだ。
そういう優秀な方々を、他者評価のためではなく、システムとして分析することは、非常に生産的なことなのではないか。
そう思い、彼ら彼女らの思考や哲学を、偏見抜きでちゃんと理解したくなったのだ。今日はその真意について、以下つらつらと書き殴ってみる。
「仕事ができる」って、なに?
まず第一歩は、「仕事ができる人が、具体的に何をしているのか」を理解したいと考えた。これは着ている服などの演出面ではなく、仕事へのスタンスのことだ。
それを念頭に、いろいろな本や経営者の話、インタビューを見聞きしてきたが、性格や体力、性別を超えて、ほぼ共通して出てくる心がけがある。
それは一言で言えば、自分の手元にボールをためないこと。つまり、自分がボトルネックにならないことだ。いわゆるデキる人は、これが本当に徹底されている。
仕事は、できるだけ滞留させない。とにかく流し、動かす。レス一発で進む話なら、目先のタスクを中断してでも即断し、進める。徹底して、抱え込まない。
この姿勢は、ほぼ鉄板のアドバイスとして語られている。むしろこれを意識しないままシゴデキと評された人など、皆無と言っていいのではないか?
そして“できる人”ほど、リズムやテンポを重視しているように見える。時間を無駄にしない、というよりも、淀みを作らないという感覚に近い。
止まっているものがあれば、すぐ動かす。流れを保つ。恐らく、それが止まると、その時点で全体が停滞することが肌感覚で解っているからだ。
・・・こういった点を理解していくと、僕の中に思わぬ副産物が生まれたのに気が付いた。それは、”仕事が完了したと考えていいラインについて”だ。
正直、「まだ作業が残っている=仕事ができていない」と短絡的に考えるのは、少し違う。というよりプロジェクトを多数回す人にとっては、いつも仕事は未完のままだ。
重要なのは、作業量ではなく、“流れ”を作れているかどうかだ。仕事ができるとは、大量のタスクを処理することではなく、全体が淀みなく流れている状態なのだと思う。
もちろん時には、ビラ折りみたいな単純な事務作業が要ることもあるだろう。だが、「流れを止めない」という姿勢そのものが、健全な働き方の核なのではないか。
他者評価のためではなく、自分が健全に動き続けるためには、「仕事ができる人を目指す」という行為は、決して卑しいものではないのだと思う。
むしろ”仕事をするために生きる人生なんてものを断固として否定し、自分主体の人生を確保できている人こそ、真の意味で優秀なのではないか”と思えてならない。
そう思えば、手元に仕事がない状態をずっとキープし続けるという哲学には、自然と至るような気がしている。
‥もちろんまだまだ内省は全然届いていないのだが、今日はこの辺で。