リーダーとはどうあるべきか、からスタートし、気づけばコミュニティをどう設計するかといった部分の話になっていった。
個人塾、しかも地方のそれとなれば、大手みたく潤沢な資金で一見さんをかき集める仕組みは全く機能しない。強いファンを人数限定で抱えることがカギとなる。
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だが、それは誰もが解っている。と同時に、再現性ある方法でそれを継続できているところは、ほぼ存在しない。属人的過ぎるし、状況によって変わり過ぎるからだろう。
勉強すればするほど、カオス理論みたいにちょっとした要素の変更で結果が全く異なることがよくわかる。十人十色や千差万別という言葉でも足りないくらい発散する。
しかし、僕はむしろそれを喜びたい。いつまでも探求が終わらないというのは、永遠に暇つぶしができるということに他ならないためだ。
ここで得た知恵をまた実際に試し、知見として自分の中に貯めていく。そんな一週間をまた始めていこうと思う。
- 2月9日(月) 数%でもいい。まずはブッ刺せ!!
- 2月10日(火) 誰しもが陥り得る罠に落ちたモノ。
- 2月11日(水) 機能にファンは生まれない。理念にファンは生まれる。
- 2月12日(木) 好きなことをためらわない。
- 2月13日(金) アーリームーバーたれ。
- 2月14日(土) 彼のためではなく私のため。
- 2月15日(日) 旗印たる人の素質。
2月9日(月) 数%でもいい。まずはブッ刺せ!!

ドラゴン桜やあさきゆめみしといった漫画の、編集者や作者のコメントを読んでいて、あることに気が付いた。執筆動機が、極めて個人的だったのだ。
前者は、「受験に関して右も左もわからなかった自分に届けるため」であり、後者は「源氏物語を当時のようなワクワク感をもって読みたかった」という感じだった。
こう考えるとすぐ閃くのだが、今でこそ世をときめく大企業になった会社も、その立ち上げ時を辿ると、「自分が本気で欲しいものを創る」ことに根差していることが多い。
―そしてこの問いを差し向けたとき、僕は言葉に窮する自分に気が付いた。僕が本当に受けたい(受けたかった)教育サービスはなんなのか、と。
そこに詰まった時点で、まだまだ僕の内観は甘い。これではファンができず、強い校舎にもならないだろう。色々やり直しだなと、自然に受け入れられたように感じる。
2月10日(火) 誰しもが陥り得る罠に落ちたモノ。

ファンを生みうる哲学を有し、かつ先鋭的な商品を開発しながら、一時期株価として頂点に立ちながらも、市場から撤退させられたものが存在する。
僕は覚えていないのだが、「Tivo」がそれだという。その一番の欠点(もとい悪手)は、その商品を使うと「何ができるか」の広告に終始してしまったことだという。
例えば、CMをカットできる、番組をまとめて落とせる、等など。それは、わかった。ではなぜ、購買者はそれを買わないといけないのか、その答えが無かったのだ。
いわばアーリーアダプターに刺さる文言を全く用意しなかったことが、唯一にして、会社そのものを傾かせ得るほどの悪手だった。なんとも怖いが、なんとも普遍的だ。
中小企業・個人塾が大手の真似をした”瞬間に”凋落を始めるのはままあるが、そこにはすべてに通底する、ダークなルールが潜んでいるのかもしれない。
2月11日(水) 機能にファンは生まれない。理念にファンは生まれる。

機能にファンは生まれない。理念にファンは生まれる。この例外を、確かにあまり知らない。
強いて言えば、例えばやたら小さい頃や、今現在ハマったお菓子があるのなら、それが該当するのかなと感じる。
それは哲学に惚れたというより、自分の味覚にすさまじく刺さったということである。僕で言えば、無印良品のてん菜糖ビスケットがそれに該当する。
そしてこれは、例えば明治のチョコは森永のそれより美味しいという議論が不毛に聞こえる、そんな段階に至っている。
ただ教育という分野を考えると、まだその段階のところまで突き詰めた感じはしない。アーリーアダプターをどう獲得するか。諦めずに考え続けねばならない。
2月12日(木) 好きなことをためらわない。
カリスマ性を持つ人が口を揃えて言うことは、自分が本当に創りたいもの、したいことの追究についてである。
もはやそれは熱狂とか偏愛と行ってもよく、超強烈な確証バイアスで固められた、最強の芯として機能する。
それが曲がりなりにも社会に迎合される形の成果になったとき、人は極めて高く評価され、カリスマになるのではなかろうか。
果たして僕の中に、そんなに熱い偏愛の欠片はあるのか?眉唾物だが、あってほしいと強く願わされる。
2月13日(金) アーリームーバーたれ。

キング牧師は歴史を変えた偉人として何度も語られる。だが僕は、本書の指摘にもあったことなのだが、彼がその当時その考えを持っていた唯一の人物とは思わない。
もとい、人格者として清廉潔白な人だった”わけではない”という話も聞いたことがある。そんな彼がなぜ、当時大勢の人を魅了し、率いたのか。
それを深めていく話に入っていくわけだが、印象的だったのは、才能があったのは勿論だが、彼が誰よりも早く、実際にその実現を目指して動いたのが要因という指摘だ。
アイデアは誰でも持っている。だがそれを最初に形にしたもの勝ち。様々な成功者とされる方々が異口同音に述べる真理が、ここでも出たことに感動さえ覚える。
2月14日(土) 彼のためではなく私のため。
キング牧師ひとりのために、なぜアメリカ全土から人が集まったのか。実はこの分析自体が、ややズレているそうだ。彼個人のためだけに集まったのでは、ない、と。
より正確には、彼ら自身がキング牧師の言葉を受けて信じるようになったモノ、いわば自分の信念に従って行動した結果、という感じなのだ。
自分が矢も楯もたまらず行動に出ることがあった際、それの号令をかけた人は多分いるんだろうけど、その人の顔を浮かべることは確かにあまり無いように思う。
↑の本も実は割とその存在を知った瞬間衝動買いしたものなのだが、その内容に僕は強く深く、満足している。信念に従うのは、決して、悪くない。
2月15日(日) 旗印たる人の素質。
今回の章は思わず、目から鱗の話だった。なぜなら、どうしてだかわからないが多くの人を魅了し支えられる人の特徴が、クッキリと描写されていたからだ。
僕はそれについて、「どこまでも自分に正直なことをする人たち」という風にボンヤリ捉えていたが、それを通じて、他の人達の肯定になっていることが大切なのだとあった。
例えば世間では、酒は少なく、タバコも控えめで、清潔なキッチンで凝った料理を作る人が褒めそやかされ、そうでない人は嘲笑の対象にさえなり得る。
しかしアル中カラカラことwawawa氏は、その全てを真っ向から(結果として)否定し、自分の好きなことを突き詰め、体現し、一切躊躇せずアップし続けていた。
彼を支持し応援することは、「実は俺もそうしたかった!!」という抑圧されていた人たちをも”結果として応援”することになっていた。僕はそんな風に思っている。
サポーターになることが、自分自身の肯定にもなる。そういう人が応援される。すごく良い学びを得られたと思っている。
では今日はこの辺で。