前もどこかの記事で書いた話なのだが、日本一有名なDT(だった)ことぐんぴぃ氏を発見し、結果としてバズらせることになった方の本を、発売と同時に買った。
ぶっちゃけ「博士の愛したDT」みたいなポップに闇を書き出してしまうような内容を想定したのだが、その文体と内容は、極めてアカデミックなそれである。
これを読んでいると、我ながらすごく意外(かつ新鮮でワクワクする)のだが、「そうそうそうそう!!!」という強い共感と感動を覚える言葉に、しょっちゅう出会うのだ。
今まで結構たくさんの小説なり実用書なりを読んできたのだが、ここまで”刺さる”言葉に出会えるとは、なんと稀有な経験だろう。しかもまだ、半分しか読んでないのに。
今日はその感動を、取っ散らかったまま、ここにつらつらと書き殴ってみたいと思う。
幻想を抱かれる側からの暴力。

詳しいエピソードは割愛するが、僕が真っ先に腑に落ちたのは、「女性にとって、ヘボい男性から下心を持たれることは屈辱なのである」という話だ。
「この程度の男に、私が”イケる”と思われるなんて!」ということで、告白に対し嫌悪を超えた激怒でリアクションをする。それを受けた人の話に、僕はすごく納得した。
特に学生の頃の恋愛とかはそうだと思うのだが、男性と女性の間には、誰も言わないだけで非常に絶望的な壁が絶対に存在していると思う。
その差を埋めるのは、当人の持って生まれたステータスにせよ、後天的に身に着けたものにせよ、いわば社会の中で強いオスであることを示す何かしかないのだ。
容姿、学歴、経済力。それらが筆頭となる。よく恋愛アンケートで上位になるユーモアや誠実性なんてのは、”それらに比べればあまりにも取るに足りないものだ”。
そしてそれらの価値ある側(と勘違いしている奴も含めて)からのコメントは、時に無邪気で残忍なことを投げつけてくる。
例えば異性から想いを告げられた際、いわゆるモテない側の男がそれを断ったとき、「お前みたいなのが女を選べると思うなよ!」と別の男たちから詰められたそうだ。
これを読んだとき、全身の毛がよだつ、凄まじい嫌悪感を覚えた。外野がそんなことが言えるほどの強い自信(勘違いさ)と盲目さを、恋愛なんてのは与えるのか、と。
ぶっちゃけ僕は恋愛というものは、ただ惚れた・惚れられた、それだけに過ぎないと思っている。ただそれだけが、そんなにも尊いのか、やはり眉唾だ。
‥この本には何もぐんぴぃだけではなく、もっと過激かつこの上ない悲劇を引き起こした男についても触れられていた。彼もまた、モテなささを憎んだ人物だった。
ただし彼は、自分がモテないこと、冴えないことの全ては女性のせいだと憎悪し、そこから破滅的な行動へと突き進むことになる。
僕はこういう激しい負の感想も抱いていないのだが、この中で彼が考えていた、”男の凶暴な行動を助長するのは異性からの賞賛だ”という気付きには、共感を覚える。
思い出すのは高校生の頃、クラスマッチの場面だと記憶している。詳しい流れや経緯は忘れたが、女子の黄色い声援の量に比例して、主に陽キャの攻撃性が増したのだ。
「こっちにボール回せや!」「シュートさっさと打てや!」という風に。そしてそれに呼応するようにキャー、カッコイー!の連鎖は止まらない。
・・・僕みたいな、スポーツも、そもそもそういう場も嫌いなやつにとっては、彼らのエキサイトに反比例するように、その場自体が猛烈につまらなくなっていった。
あの独特の雰囲気は何なんだろうと思ったが、俗的なことを言うと「あれほど最適なセックスアピールの場はない」ということなんだろうと感じる。
男はその運動能力、カリスマ性、オスとしての強さの全てを誇示する。それを女子が全力で応援する。僕らはエキストラの中でも端役に過ぎないところに堕する。
かといって、自分が黄色い声援を送られたいかというと、微塵もそんなことは思わない。自分が力士に転生したら‥と想像するくらい、縁のない世界なのだから。
ちなみにこの本には、こういういわば惨めな状況を受けて、他にもテクニックでそれをカバーするタイプと、自分自身を丸ごと努力で変容するタイプの話も出てくる。
僕はこの本の定義で言うならば、”撤退”を選んだ者だ。学生の頃はその選択にどこかもどかしさを覚えることもあったが、今はもう受け入れているのでどうでもいい。
好意の無い異性からの告白は屈辱。恋愛の観点から価値のない男に選択の権利はない。男の暴力性を助長するのは異性からの賞賛だ。
こういった一つ一つが、すごく”魂揺さぶる言葉として”僕にビシビシ届いている。それでいてまだ、半分以上のページが残っている。期待はずっと、高止まりだ。
すごく良い本に出会えたことに感謝。では今日はこの辺で。