精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【自戒】教室運営は”好ましくないこと”と”自分の嫌悪”を切り離すべし。

度々書いている話だが、僕の校舎もご多分に漏れず、低学年向けコンテンツを実施している。となると頭を悩ませるのが、教室制御の問題だ。

 

場を荒らす行為を容認すると、「割れ窓理論」よろしく一瞬でクラスは崩壊する。悪評は雨後の筍の如く立ち、クレームは頻発と、まさに地獄と化すだろう。

 

とはいえ、完全なるサイレントを目指し、教室をガチガチに、それこそ刑務所のレベルで管理するのもどうかと思う。(それはそれで非現実的だし)

 

過度な統制は体罰と紙一重だ。子供がちょっとでもその辺りを盛って伝えると、感情的にご家庭から怒気を孕んだ言葉が飛んできてもおかしくないと思う。

 

容認できないものはキッチリ取り締まる。だが、割とセーフなものまで、目くじらを立てない。この境目たるラインは一体どこになるのか、本当によく考える。

 

正直この記事で結論を出したいわけではなく、”僕にとって一番気を付けなければならないこと”を、自戒のためにここへ書いておく次第である。

 

未来の自分が折に触れて呼んでくれることを願う。では以下、本題をば。

 

 

それは好ましくない言動か?自分が嫌いなそれか?

 

教室に入っていると、僕はどうにも、意識が全てそこに吸い寄せられ、ムクムクと嫌悪と苛立ちを覚える言動にぶち当たることがある。

 

具体的極まりないが、「最近僕は習い事を始めたんだ‥(だから宿題はできなくても仕方ないね、と言ってください)」といった独り言とかはその典型だ。

 

汲み取ってもらうことが当然という思考は、年端もいかない子なら自然なことかもしれない。とはいえ、ではこれをもうすぐ小4になる子から聞いても、妥当なのだろうか

 

この子は独り言癖が結構強く、それこそ計算式をブツブツ言う程度なら別にそこまで言わないが、「親が車を売った」「頭が熱い」といったこともひたすらに繰り返す。

 

その狙いは多分、「だから僕がもし奮わない結果でも、それは僕のせいじゃない。でももし点がよかったら、ハンデを跳ねのけた僕はすごい」ということなんだと思う。

 

・・・さて。これについて、皆様はどこまで目くじらを立てられるだろうか?声の大きさは、1m先にいたらギリ聞こえる程度、頻度は1分に2~3回、とする。

 

かくいう僕は、結構重めの説教をしてでも止めさせたいくらい虫唾が走る。シンプルに嫌いなのである。だからこそ、押し付けてはいけないと強く自制している。

 

あくまでも、”僕ではなく”周囲の学習環境に悪影響が出ていないかどうかだけを見据えるべきだ。僕が嫌いなのと同程度に周りも嫌がっているかは、わからないではないか。

 

実際一番顕著だったのが、問題を解いたら間違えて、教室で泣きじゃくった男の子がいた日のこと。その日はすぐ迎えを呼び、コトを収めた。

 

その後で教室にいた生徒たちに、「ごめんな」と詫びたのだが、特に女子からの「え、なにが?」というキョトンとした表情にはマジで驚いた。

 

問題を間違えたら男子が癇癪を起すとか、割と普通っすよ…とでも言わんばかりの精神年齢の高さ。頼もしさを覚えると同時に、甘えてはだめだなと強く思った

 

実際、僕や周りの子が”なんとも思っていなかった”ことに、親が烈火のごとくクレームを入れてきたこともある。(ちなみにその顛末の大半は子供側の”嘘”だったのだが)

 

こういうクソ面倒な八つ当たりを誘発させ得るなら、子供特有のグズりも独り言も物音も全て封印しなければいけないし、ぶっちゃけ割と、そう思うこともある。

 

だがそれは非現実的だし、何より個人的な感情に根差し過ぎている。金子みすゞみたいだが、「私と、他の顧客と、世間体」の三方面を気にしないと、客観性は無いのだ。

 

”クラス全体の雰囲気や感情”までも俯瞰し、捉えどころがないのだからとさじを投げず、向き合う。正直、マジでめんどくさい

 

だがそれは正直、僕個人の嫌悪だ。代替案が無い状態である以上、その辺はグッと呑み込んでナンボなのだろう、とも思うのだけれども。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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