「自分らしさ」とは何か、という問いに答えるのはとても難しい。なぜなら、それは自分が本心から”自然と”取った言動に滲むもので、つまり意識が向きにくいからだ。
それゆえに、それを自分で把握するチャンスは、「自分が意識していない言動の内、他者が好意的に反応してくれたものを指折り数える」ことにあると思っている。

それをこないだガッツリ考えてみて、そこから暫く経ったのが今なのだが、それが閾値を超えてきたのか「あ、今コレ、すごく俺っぽい!」と自覚できる言動が増えてきた。
そしてそれをまた思い返して、心の中にプロットし、これまでの言動と線と線で繋いでみると、何か図が描けてくるのではないかと、そう期待して止まない。
だがまだまだ、”僕らしさの完全なる言語化”には遠く及ばない。この記事もあくまで途中経過に過ぎないのだが、それでも一旦書き出しておく次第である。
「美味しいかもー!」
最近また自分の中でブームが再燃しているのが、アル中カラカラこと「wawawa」氏の動画だ。何なら全制覇しようと思って、最古の動画から視聴し直している。
単純に観るのが好きと言えば済む話だが、何より彼の、徹底して自分の好きなことを自分の好きなように行い、それをただ発信しているだけという潔さが好きだ。
それでいて、視聴者を楽しませようという意志も感じられつつも、媚びる点は一切ないという謎の芯の強さ、それを感じるからこそ、彼から今更ながら、目が離せないのだ。
彼ほど自分に正直に生きられたら、どれほど人生はシンプルかつ楽しいものになるだろうか。それを知るためにも、目が離せないでいる。
厨二心と現実的なファッションの折衷を真剣に探る自分。

最近、龍が如くの新作をずっとやっている。その登場人物に一人、すごく好きなキャラがいて、その衣装を自然に、さりげなく取り入れられないか、たまに考えてしまう。
まず髪形を真似しようとしてみたが、僕は毛量が多く、サイドが張ってしまう関係で、オールバックにしてもすごく野暮ったい印象になってしまう。だからこれは止めた。
その代わり、ネクタイを真似できないか考えた。ゲームのヤツそのままだと派手過ぎて仕方ないので、例えば「ゴールド シック」みたいな言葉で検索をかける。
すると、↑の画像みたいな、普段使いでも大丈夫なデザインなのに、そのキャラが身に着けているものと同じ色の物を見つけることができた。
・・・というのを真面目に考えて、実際に買って装備しちゃうのが自分なのだ。目立つことは避けたがる癖に、こういうところは素直なのが、意味不明だが愛しくも思う。
買うより作ることを考える。

先の龍が如くの最新作には、「さいほう」というミニゲームがある。文字通り縫物をするゲームなのだが、これをしていてふと、「裁縫って趣味としてありかもな」と思った。
というのも、僕はキャンプが好きなのだが、その入れ物としての布製のアイテムを探した際、自分が欲しいドンピシャのそれが見つかったことがほとんどないのだ。
大きすぎる、小さすぎる、あるいは生地が薄すぎる、または高すぎる。それらをうだうだ考えるうちにめんどくさくなっていたのだが、”作ればいい”というのは良い閃きだ。
ミシンを買わないと本格的なそれはできないようだが、まずは手縫いで大丈夫だろう。それで遊んでみてどこまで楽しめるか、それ自体に今、実はワクワクしている。
終わりに:僕らしさの結晶、それは既に言葉になっていた。
こういう言動を”僕らしさ”の具体例として考えると、抽象的なものとして何が出てくるか。書きながら気づいたが、それは既に、このブログのタイトルになっていた。
「精神年齢9歳」。やはり、これだ。これこそが自分なのだ!!‥と、今なら胸を張って、納得感を伴い、そう思う。
だから何かに手を出すとして、自分の心の中の9歳児はそれに対して興味を持っているか否か、それを確認することが、人生をより充実させるためのコツな気がしてきた。
マッチポンプが過ぎるけど、こういう形で伏線回収ができて、我ながら興味深いなと、そう感じている。では今日はこの辺で。