精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

集中力は「気乗りしない作業」で磨かれる。

集中力について、もはや職業病を通り越して、いわば習慣のようなものとして、やっぱり毎日考えてしまう。アレコレ試し、結果を分析して、また試す。

 

そうやって普段から自分の脳みそを相手取って実験していると、定期的に新しい発見があるので、自分自由研究はやっぱり楽しい。

 

今日(というより数日前)に「なるほど!」と気づいたことも、その一つ。それは、”集中力は「気乗りしない作業」で磨かれる”説だ。

 

これが自分にとって目から鱗だったというか、実際は盲点だったというか、そんな話だったので、今日は取り急ぎそれをシェアしたく思う。

 

 

したくないことはしたくならない。

どうしてもしたくない仕事というのはある。AIに外注したり、他人に頼んだりしても、それは絶対にゼロにならない。時折割り込みで降ってくることもしばしばだ。

 

だからイヤイヤ、作業リストに書き残す。だが、イヤだからやらない。最後までおじゃまぷよみたいに残り、そして段々と腐ってきて、いずれボヤ騒ぎへと変化する。

 

とはいえ、あたしンちのユズヒコみたく、未完の嫌なことが閾値を超えると、「あぁ!!」とスイッチが入り、そこからは怒涛の勢いでこなせてしまう

 

そこは我ながら不思議な生態だと思っていたが、実はこれは割と、人類として普遍的な集中力に関する一つのルールなのだという。

 

したくないこと、気乗りしないこと、面倒だと予想されること”ほど”、隙間時間で処理しようとせず、まとめて時間を決めて一気にやる方がいい。

 

そう指南する人も本も、よく考えればとても多いことにすぐ思い至った。そしてすぐに気づいたのだが、僕はこれを、”これまで全くやってきていなかった”

 

嫌なことを嫌なまま処理するのはなんか二流な気がして、それこそ解釈を変えようとしたり、ギリギリまで代替ツールで何とかしようとしたり、そればかりやってきた。

 

だが、どこまで行っても感情としての「嫌」は消えず、どれだけ回避策を考えても着手まで至らないからこそ、最近自分の仕事が遅いと自己嫌悪が入っていたように思う

 

禅問答みたいだが、したくないことはどこまで行っても、したいことには変わらない。こんな当たり前のことを忘れていたなんてと、ちょっと情けなくも感じている。

 

したくないことには邪念が意外と入らない。

 

とはいえ、こういう「嫌なこと」に覚悟を決めて取り組み始めると、自分の身に結構意外なことが起こるのにすぐ、気が付いた。没頭しやすいのだ。

 

嫌なことは、早く終わらせたい。それ以上でもそれ以下でもない。‥本当に思考がそれだけになる。だから、すごく早く進む。ミスも少ない。邪念が入らないのだ。

 

これは結構意外な発見だ。なんなら、ただ何となく好きなだけなことに取り組んでいる際より、集中の度合いなら強く深いような手応えもある。

 

それこそこのブログを書いているときよりよっぽど、授業料が未納のご家庭に対するメッセージを書いているときの方が、その作業に対して入れ込めている。

 

そして、こういうある閾値を超えた”深さ”というのは、なんなら久しぶりだという手応えも覚えた。そしてそれは、ちょっと危惧すべきことではないのか、とも。

 

最近僕は、自分の集中力が少し落ちてきたと思っていた。年齢のせいかとも感じていたが、どうやら単に、その経験自体が日常から減っていた、という方が正しそうだ。

 

筋トレをしなくなった人が、「最近筋肉が落ちてきた」と嘆くようなものだ。それはちょっと…あまりにも意味不明過ぎて笑えないギャグである。

 

だが構造が見えれば、行動はいくらでもハックできる。今後はむしろ、深い集中に誘ってくれる「嫌なこと」を、僕はどこか歓迎する気持ちでありたいと思っている。

 

では今日はこの辺で。

 

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