精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

自分に生じた意外な感想を振り返る。

僕は究極的には、「人の気持ちはわからない」と思っている。これは2ちゃんのまとめサイトか何かで見た、「クオリア」の話を読んで以来、そう考えている。

 

乱暴な例を言えば、「自分が見ている赤色を、他の人も同じ刺激として受け止めているかどうかは、どこまでいっても解らない」という思考実験だ。

ja.wikipedia.org

 

それもあって、「お客様の気持ちに立って‥」という前提もなんかしっくりこないし、僕とはまるで異なる規範で生きる方々の価値観も、想像が及ばない感じなのだ。

 

ただその”収まりの悪さ”は意外と、自分の中にそういう体験が無いがために起きている‥というケースもまた、多い

 

なぜそう思うかというと、ある出来事の体験を通じて、自分の中に類似の思考が生じた結果、他人の物言いの根底の哲学がやや理解できたように感じたからだ。

 

てことで以下早速、その具体的な話を書いてみる。

 

 

過剰にぺこぺこされた結果思ったこと。

 

今日出社しようと家を出て、驚いた。駐車場を塞ぐ形で、引っ越しのトラックが駐車されていたからだ。まぁ確かに、今は出入りの激しいシーズンではあるか。

 

とはいえそれを待って遅刻なんて論外だ。だから作業をしている方に声を掛けて、僕としては丁寧に、一旦の移動をお願いしたつもりだ。

 

だが、あたかも堅気がヤクザに怯えるかの如く、すごく大慌てで、申し訳ないですと何度も言われながら、移動をしてもらえた。その時、僕は何を思ったか。

 

過剰に下手に出られることって、快いものとは程遠いのだな、というものだ。何なら、こっちが悪いことをしたような気分も、ちょっと覚えてしまった。

 

もちろん、他人が自分に対し媚びへつらうのを見て快の感情を覚えるといったヤバさは特になかったというのは喜ぶべき点だろうが‥それでも、色々思うことはあった。

 

言葉遣いには過剰なほどに気を配り、徹底的に下手に出ることは、逆に相手に対し要らぬ苛立ちを注ぎかねない。不思議な話だが、そのことをガッツリ学べた一幕だった。

 

久しぶりに感情論に陥りかけて思ったこと。

 

ここ2週間くらい、とあるゲームのフルリメイク作品を毎晩の楽しみにしている。いよいよ最終章へ入ったので、ワクワクしながらサントラも買った。

 

クリア後はそれを作業用BGMにする。それが好きなので、5000円くらいしたが躊躇いなく購入した。-だが、そのラインナップを見て、「おや?」と思ったことがある。

 

神曲と名高く僕も好きな曲が、”入ってなさそう”だったのだ。ストーリーの時系列で曲が並んでいるなら、その曲そのものの題名か、リメイクと分かるそれがあるはずなのに。

 

こればっかりは不安になったので、ネタバレを食らわない程度にネットで調べてみたが、どうやら差し替えになっているようだと判った。

 

正直その刹那、僕ははっきりと動揺した。そしてそれに関する、やたらと感情的なヘイトも見受けられたことから、同じ思いをした人が周りにもいることがわかった。

 

その結果、その怒りをさらに受信し、自分の中の何かが増幅したのを、はっきりと実感している。自分の中に「ハァ!?」と思う攻撃性があることを、久しぶりに確認した

 

・・・そこから時間が空いて、今は幾分冷静になっている。もしかしたら、原曲をリスペクトしたものかもしれないじゃないか。原曲以上に神かもしれないじゃないか。

 

とはいえ、冷静”じゃない”ときは、いかなる論理的説得が無駄という理由も、身に染みてよくわかった。そんなことをに耳を傾ける余裕などないためだ。

 

自分の外から延々と怒りという名のガソリンを遠隔で注がれているとでもいおうか、尽きることの無い憤懣と、それに付随する確証バイアスが延々とループしている。

 

‥今回はトリガーが情けないだけに言葉にするか迷ったけど、これはこれで貴重な自己観察に違いは無い。隠すことなく白状しておこうと思う。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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