精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

最近は、”自分というキャラクターを操作し、カスタムしている気分”だ。

自分の中で何が明確なトリガーになったのかわからないが、最近、「今顕現しているのは俺の素の人格ではないな」と、自己評価では思うようになっている。

 

もちろんこれが常時発動しているわけではなく、あくまで仕事中、もとい家から一歩でも出たらそう、なのだが…。これが結構、不思議な感覚なのだ。

 

なんというか、何かを考え、伝えるとき、あるいは何かを言われたとき、または面倒なタスクに相対したとき、出力される反応がやはり、平素と異なる感じなのだ。

 

僕が応対してはいるが、そうするよう指示を出したのは別の存在である。端的に言えば、自分というキャラクターを操作し、カスタムしている気分なのだ。

 

食う飯はさておき、着る服とかそういうのは、素の自分の感性ではなく、自分が目指したい像を考えたとき、その像はどんなものを選ぶか、で考えている

 

大きくファッションセンスが変わったわけではないのだが、その日の髪型のセット一つとっても、「より俯瞰した存在がそうコマンドした」かのようなのだ。

 

この不思議な感情、新鮮なうちに一旦言葉にしておこうと思う。

 

 

見える世界の印象さえ変わっている。

 

今日、出勤時にふと、ばっちりおめかしをした中学生か高校生の女の子を見かけた。おそらく、デート、あるいは友人と遊びに行くとか、そんなだろう。

 

どちらにせよ、素の僕はこの「僕とは別世界の世界の住人」に対し、何か引っかかるものを覚えなくもない。絶対にありえない僕のIFを生きていることに対して、だ。

 

だが今日は、本当に自然と、「気合い入ってるな。デートにせよなんにせよ、そのおめかしの努力が報われるといいな」という感想を持った

 

自分自身の言動に、時間差で驚くことはこれまでもあったが、自分の思考にリアルタイムで驚いたことなど、これまでにあっただろうか?本当に不思議な一幕だった。

 

それはその後も続いた。仕事に際してミスを指摘され、電話口の向こうでそこそこ強い語気でお叱りを受けたときのことだ。普段なら時間の経過をただ待つのだが‥。

 

今日は違った。普段なら気圧されそうな語気の後、即座に「今回の件は僕の不手際に違いないです。申し訳ありません。この後は、~という対応をします」と返”した”のだ。

 

そしてその後も「認識が甘かった点について、お伝えいただきありがとうございます」という言葉まですらすらと出てきたのだ。一体、こいつは誰だと、”僕が”思った

 

こうして言葉にすると、どこか病気のように感じられるのだが、実を言うと無駄に素の自分を矢面に立たせるよりずっと消耗しないし、ずっと理性で応対できている

 

僕は人の親ではないのでよくわからないのだが、自分の子供が口にした不躾なことを咎め、引き起こしたトラブルに対し頭を下げる、そんな構図を感じたのだ。

 

その後に「ごめんなさい」と言われても「何がだよ?」と自然に返せる。そんな心構えで、ここ最近はずっと過ごせている。良くも悪くも、全てが自分事に思えない

 

自分の素の部分が嫌がっても、抵抗しても、めんどくさがっても、それを関係ないとばかりにスルーできるようになりつつある。

 

仮にまだ、情動の方に押し切られてできないときがあったとしても、必ずそれはメモに控え、徹底的に言葉にし、理性の側から論破し、時間が掛かっても、飲み込んでいる。

 

「自分は何がしたいか」ではなく、「自分は何をすべきか」が優先順位の一位に組み変わり、固定されている。だから僕は”操作”という言葉を浮かべたのだ。

 

ゲームのキャラの人格や能力がどうであれ、プレイヤーが戦闘を選べば闘うし、選択肢の決定権は操作する側にある。そして僕の意識は、操作する側が主となっている。

 

唯一懸念しているのが、これがつまり、何か好ましくない精神状態の入り口にあるのではないか、という点だ。戻れなくなるラインがこの先にあるのだろうか?

 

とはいえ、信じていた人から裏切られたことも、己の無力さによって人間不信に陥ったことも、幸いにして、無い。心の傷が刻まれるには、僕の過去は平和過ぎなのだ。

 

このメンタリティは何なのだろうか。気にはなるけど、敢えてラベリングせずに、このモードにしばらく任せてみようかなと思っている。

 

では今日はこの辺で。

 

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