僕は自分でも不思議なくらい、承認欲求が乏しいと思っている。中学・高校の頃は年齢相応の自己顕示欲を持っていたと思うが、今となってはそれはどこへやら、である。
実際、僕は生徒から「先生のおかげです」と言われて喜ぶようでは指導者として甘い、自立できない時点で教育に関しては広義で失敗している、という主張に賛同する。
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実際いつぞやの記事で書いた話だが、僕は自分が思うラインまで、今の校舎・組織を戻せた暁には、「そのときこそ辞す」という選択をする気しかしていない。
かつての僕はそれについて、「一度エンディングを観たゲームにずっとハマることはないのと同じ」と答えた。その気持ちは今も変わらない。
勝ち誇りたくもない。賞賛されたくもない。見たい景色を見れたら、それでいい。リーダー論の研究もまた全てはそのためなのだ。終えるために、学んでいる。
今週もそれを念頭に、読み進めたいと思う。
- 2月23日(月) WHYタイプにHOWタイプ。
- 2月24日(火) 陰にいた人たち。
- 2月25日(水) 知人がいるということの大切さ。
- 2月26日(木) 場は変わらぬ。人は変わる。
- 2月27日(金) マスに機能を訴える。
- 2月28日(土) 売れたものはすべて正しい、が。
- 3月1日(日) 拡声に値する声はあるか?
2月23日(月) WHYタイプにHOWタイプ。

この世の人達の大半はHOWタイプなのだという。物事を筋道立てて、誰よりも上手にやり遂げる。それによって昇進したり、成果を生んだりする、と。
しかし、その人たちは決して、いわゆる非凡・天才とされる人たちのところに行くことはない。いわば秀才止まり、ということだろうか。(それでもすごい話だが)
一方、だからといって超絶な天才肌とされるタイプの人は、夢や野心を語ることはできるが、それを形にする方法については驚くほど無知・無関心なこともあるという。
つまり、WHYタイプの人にはHOWタイプの人が絶対に必要だという。実際、ディズニーの会社も、経営のプロが参画していなかったら、結構危なかったそうだ。
・・・独りでもやろうという覚悟を決めかけている僕にとっては、色々判断・決断が揺らぐような話だが、はぶてずにまだまだ考えたいと思う。
2月24日(火) 陰にいた人たち。

僕も勘違いしていたのだが、ジョブスはアップルの”コンピュータ”を創った人物ではないらしい。そこには別の卓抜したエンジニアがきちんと存在していたそうだ。
ジョブズが夢を語り、それを別の人が形にして、それを魅力たっぷりにジョブズがプレゼンする。そうしてアップル総体の魅力は、どんどんと高まっていったのだ。
思うに、ジョブズは人をインスパイアする天才だ。創る天才というより、創らせる天才、というか。それがWHY型であるというなら、僕は多分、そうではない。
HOWとして殉じる。それは確かに、僕の在り方として悪くないと思う。なにより、僕は決して表に出たいとは思わない。組みたいという人がいる限り、そうしたい面もある。
だが、今はいない。ただそれだけのことなのかもしれない。
2月25日(水) 知人がいるということの大切さ。

HOWとWHYのタイプが特に強固に作用するケースとは、お互いがある程度の長い時間を同じ場所で過ごした場合に起こるらしい。
実際、アップル創業者の二人は同じ高校出身だったという。思い出や価値観を共有することは、そこに強固な絆を生み、シナジーの力を増大させるそうだ。
何かの起業家向けの本にも、「知人の居ないパーティにするな」というのがあったが、何となくその意味が、時間差で理解できたように感じている。
2月26日(木) 場は変わらぬ。人は変わる。

「この会社を変える」という表明をたまに聞くが、筆者に言わせればそれは”不可能”なのだという。組織とは総称で、構成している個々を変えることしかできないのだと。
例えば理念を急に打ち出せば、会社が変わった感じはある。だが、その理念に対し、社員がどこまで賛同し、体現するかは話が別だ。
空回りはこういう状態を指すのだと思う。どこまで行っても、個人と個人の突き合わせだ。僕もそこから逃げずに在りたいと思っている。
2月27日(金) マスに機能を訴える。

広報は大事だ。そんなのは言われなくてもわかる。だが”どうして?”という問いを3~4回重ねられれば、結構簡単に窮する。そんなタイプのモノでもある。
実際ある会社も、その商品のスペックに絶対的な自信を持ち、大手広告会社と組んでそれらを大々的に広報したそうだ。もとい、それらばかりを推したらしい。
ところで、この章のサブタイトルは【伝わるメガホンをつくれ】であった。それがどんな意味なのか、これから楽しみにしたいと思う。
2月28日(土) 売れたものはすべて正しい、が。

ビジネスにおいては「金が全てだ」という主張に、僕は賛成する。清廉潔白を標榜したり押し付けたりするのは、色々勘違い甚だしいと思っているからだ。
会社は利益を出さなければ淘汰される。そしてここで言う利益とは、何かしらの形で生み出された付加価値に他ならない。それをとやかく言われる筋合いはないのだ。
だが、売れさえすればなんでもいい、というのも危険だ。安売り、キャンペーン、他社の悪口、あらゆる手を使って、必死にただ、”売りつける”。
そういった組織にファンはつかない。数年前のコロナでよくわかったが、ファンなき組織も場所も、苦境では切り捨てられてオシマイなのである。
3月1日(日) 拡声に値する声はあるか?

どれだけ声高に、大音量で、マスにメッセージを届けても、肝心なそれ自体にメッセージがないとするならば、それはただの雑音や騒音になる。これは当然だろう。
同じことは、しょっちゅうポストに投函される袴のレンタルといったビラにも思う。そのメッセージを届けたい相手は俺じゃないだろう?そう思うと、捨てる気さえ萎える。
どれだけ声を大きくしても、誰も耳を傾けてくれないとき、それは排斥ではなく、自分の伝えたいことが入っていない空虚さを見抜かれているという可能性もある。
拡声に値する声はあるのか。あるにしても伝わっていないのなら、それは無いも同然なのである。
では今日はこの辺で。