僕は「飽き性」であることを弱点であることのように、過去何度も指摘されてきた。ハマるときは誰よりも夢中になるくせに、冷めるときもまた、比類がないと。
極端な例だと、毎日5~6時間、半年以上プレイしていたゲームも、”するクエストが無くなった”というそれだけでパッと止めてしまったことがある。

それくらい、自分の中で「意味や意義」を失ったとき、あるいはとっくにそんなのが形骸化していると気づいた際の手放す速度は、我ながら結構異常だと感じているのだ。
しかしながら、この「飽き性」という性分については、最近むしろ”これは僕の最強装備の1つだな”と、自然と捉え直せている。
今日はそのことについてつらつらと書いてみよう。
執着しないからこそ見える世界。

【多動力】の中にも、「サルのようにハマり、鳩のように飽きよ!」という助言がある。僕はこれを、デフォルトで発動しているといってもいい。
昔夢中になったのに、今は全くしていないものは、いくつあるだろうか。パッと思いつくだけでも、それは以下のようになる。
塗り絵、お菓子作り、家庭菜園、モンスターハンター、ディシディアファイナルファンタジー、簿記3級の勉強、TOEICの勉強、英検準1級・1級の勉強、漢検2級の勉強、将棋、野球、ストレッチ、格闘ゲーム・・・・・
多分他にもあるのだろうが、思い出せない。記憶の彼方に完全に消えてしまったようだ。だが、それらの経験値自体は、おそらく僕の中にまだ、残っていると感じる。
というのも、昔ハマっていたものに久しぶりに触れてみると、意外とスッと思い出せることが多いのだ。10年してなかったお菓子作りも、すぐレシピを思い出せたように。
こういう風に、一度でも”ハマる”を経た経験値は、己の中に強く残るだけでなく、他の経験値と結びつき、唯一無二の知見をその人の中に生じさせるのだ。
【観察力の鍛え方】においても、「創造性とは、一つ一つがまるで異なる【型】に精通し、それらを結びつけること」といった内容の文がある。僕はこれに強く共感する。
自分の人生において、明確に「これとこれがつながった!」と感じることはほぼ無いのだが、緩いところで「あっ、これはあれが使える」と思ったことはままある。
直近だと、図画工作の基礎基本を思い出しながら棚を作ると結構あっさり形になったし、野球をするときの動作と筋トレの動作には結構類似点があることに気がついた。
こんな風に、自分の中で「60点くらいの経験則」が「たくさん」あることによって、世界が網目状かつ、有機的に繋がったそれに見えてくる。
もちろんその中でも特にハマったものについては、80点以上の濃さの経験則を得るまで夢中になってもいい。実際僕にだって、そう言える趣味はいくつもある。
しかしながら、それが”いくつもある”理由はなぜかというと、夥しい数のモノに手を出しては、そのほとんどに飽きて、それでも残ったものを深めたというただそれだけだ。
今思い出せるだけでも「これは人並み以上にやってきたな」という趣味なり勉強なりは10個ほどになる。その裏では多分、90個くらいの色々なものに”飽きている”。
昨今はAIの台頭などもあってか、「1つのことだけ突き詰めろ!」という論調はかなり弱まってきている印象であり、これはなんといい追い風かと、僕は感じている。
実際今も、裁縫に興味があるし、DIYもまたやろうかと思っているし、漢検準1級にいよいよ乗り出そうかと思っていたりと、色んなことが玩具に見えている。
だが下手すればその全てに僕はハマること無く飽きてしまうのかもしれない。だが、それ自体はあまり不安ではない。何百回も経験していることだからだ。
飽き性でよかった。今日もまた、新しいことに手を出すことに、ためらいが無くなるのだから。では今日はこの辺で。