見城徹氏の著書のどこかに、「自分が過去に書いた日記は全て取ってある」といった話がある。既に還暦を迎えていた時期の話だったが、高校生の頃のそれもあるそうだ。
その当時の記録を読み返すと、「甘酸っぱい恋の記憶も蘇ってきて、これはこれで面白い」との談だった。そして僕は今、似たようなことを、よく思うようになった。
自画自賛ですらないのだが、今の自分なら割と言語化出来ている哲学や矜持のようなものが、10年以上前に、よくわからないままではあるが、言葉にされていることがある。
【金閣寺】を読んでから【仮面の告白】を読むと、ミシマ文学を貫くテーマがどこか見えてくるように、ただの無名な奴の日記一つでも、時が経てば、見え方が変わる。
ということで今日も、ゼロから記事を書く時間が無かったので、過去の日記をジピちゃんにリライトしてもらい、その上で色々分析したいと思っている。
原題:BAKARYTHEM (※13年前の日記をジピちゃんにリライトしてもらったもの)

僕は昔から、よく「ゴツい」とか「怖い」と言われる。男からそう言われることは、年齢を重ねるにつれて減ってきたが、異性からは相変わらずそういう評価を受ける。
ただ、その理由を自分から尋ねたことは一度もないし、正直あまり興味もない。だから、なぜそう見えるのかは今でもよく分からない。
女子で僕を呼び捨てにできる人は、本当に片手で数えられる程度しかいない。ある友人には「何を考えているのか分からないからじゃない?」と言われたことがある。
しかし困ったことに、僕は基本的に大して何も考えていない。そういう意味では、確かに扱いづらい人間なのかもしれない。
とはいえ、この外見評価によって特に損をした記憶もない。だから改めようとも思っていない。—ただ、一つ興味深い点があるとは思っている。
それは、付き合いの長い人と短い人で、僕に対する人物像がまったく違うということだ。
例えば高校時代、同じクラスになった女子からは、僕は「コーヒーが好きそう」「めちゃくちゃ本を読みそう」という人物に見えていたらしい。
実際のところ、僕は苦い飲み物が苦手だし、高校の頃は年間で二冊くらいしか本を読んでいなかった。見た目というのは、どうやら本質をあまり反映しないらしい。
少なくとも僕の場合は、もう少し人間臭いタイプである。一方、小学校や中学校から付き合いのある人たちは、僕をそんな堅物だとは思っていない。
彼らからの評価はだいたいこんな感じだ。「大食い」「ゲームが得意」「魚釣りが好き」「器用貧乏」「物知り」「適当人間」
・・・褒め言葉なのか悪口なのか、判断に迷うような評価が並ぶ。しかし自分で振り返ってみても、こちらの方が明らかに僕の本質に近い。
僕は昔から、妙にどうでもいいことに情熱を燃やすことがある。例えば―
棒倒しを延々続けたら、どこまで行けるのか。川をひたすら遡れば、最終的に海にたどり着くのか。スーパーマリオを、ワープもセーブも無しでクリアできるのか。
今書いてみると、なかなかどうしようもない内容である。ただどれも、実際に試して、確認するということを行った。
棒倒しは四時間続けて、家から2〜3キロ離れた小学校まで到達した。自転車は三時間こぎ続けて、本当に海まで行った。
そしてスーパーマリオは、六時間の挑戦の末、残機128をすべて使い切り、最終ステージでゲームオーバーになった。まあ、バカである。
そういえば「天然」と言われたことも何度かある。こればかりは言われても反応に困るし、別に嬉しくもないので、一応否定しておく。
結局のところ、見た目と本質があまりにも違うと、損とまでは言わないが、多少は面倒なことが起きる。
本当は、もっと自分のアホな部分を最初から出せれば楽なのだろう。酒を飲めば簡単に出るのだが、それをシラフで出せないとあまり意味がない。
それに、肝臓のことを考えると酒に頼るのもどうかと思う。だから、プライドとか自意識とか、そういうものを一度脇に置いて、もう少しバカ丸出しで生きてみよう。
大学を卒業するまでの目標は、それにしよう。まあ、そんなことを思っていた時期もあった、という話である。
今思う感想。

当時の日記から既に感じるのだが、僕は当事者目線で、自分の感情などを書くことは、無意識に避けている気がした。これは中2から、実はそうだ。
例えば学校行事のことを振り返る感想文なのに、照明のまぶしさ、出された食事の味、周りのクラスメイトの表情ばかりが、そこに記載されている。
当時の僕が何を感じていたかを、今の僕は知りたいのに、それが赤裸々に書かれていることはほとんどない。若年の僕は、感情の言語化をしてこなかったのだ。
クールと言えば聞こえはいいのだが、僕は僕の内面にまでさほど興味が無いと考えるならば、結構恐ろしい話になる。(あるいは若さゆえのイタさか?)
自分の文体として、やはり思うのは、どこか全てが観察日記のテイストを帯びている、というのもある。他人事であらゆるものが語られる、というか。
そしてそれが一貫して、34歳の今に至るという感じだ。ただ、謎に斜に構えている感じがして、ちょっと嫌だな。もっと素直に、感情を出せばいいのにな、と我ながら思う。
自分が素直に思うことを、もっと赤裸々に言語化する。これからは、それを意識してみるのも悪くない気がしてきた。できるかどうかは別として。
では今日はこの辺で。