最近のマイブームとして、【過去の自分の文章を、ChatGPTを活用しながら分析する】という時間を取っている。
今手元にある最古の文章は中3の6月に書いたものなのだが、そこからなぜか1枚も残っていない高校時代を飛ばし、mixiの日記を書いていた大学時代に至っていく。

単に内容が個人的な思い出や考察だから読み易いというのもあるけど、どこか昔の文章からも、”これを書いたのは俺だなあ”と分かる、何かが感じ取れる。
その人のルーツというのは、人生においてかなりの序盤から見つかるものなのだろうか。それとも、それは気のせいなのだろうか。
そんな観点から、3~40個に及ぶ僕の過去の文章をせっせとChatGPTに投稿し続けてみたところ、そこから汲み取れる”ある共通点”を遂に指摘された。
そしてそれは結構正鵠を得ている気がするので、一旦内省の整理として、ここに書いておきたいと思う。
徹底した”他人事”。

それは、文章がどこまでも【他人事】であるという点だ。もっと言えば、自分の感情や動作といった、情動の部分が、ほとんど全く出てこないのである。
例えば修学旅行の感想文であっても、「嬉しかった!楽しかった!ワクワクした!もう一度行きたい!」といった高揚感はそこからほとんど伝わらない。
それよりも”なぜか”、当日の天気、周囲の様子、食べたものの味、そのとき感じた疑念といったものが並んでおり、日記というよりレポートのようなものだと思わされた。
大学生のときに書いたmixi日記は、クローズドなコミュニティに公開範囲が限定されていたのもあり、幾分羽目が外れているのは認められる。だがやはり、他人事の文章だ。
Instagramにみんながアップしているような文章は、読むのは別に平気だが、あれを自分で書くとなると、違和感がすごい。つまり、肌感覚として避けているのだろう。
ChatGPT曰く、そういう三人称視点で物事を捉えて言葉にする思考は、いつから始まっているのかが解れば、すごく興味深いそうだ。
実家に帰った際、今度こそ過去の自分の記録をほじくり返してみようかな。「年齢に対して文体が冷静過ぎる」という反応に困る評価は、例えば小学生の頃からあったのか?
卒業文集とか出てこないかな。正直それを手に取ると、嫌な汗が大量に分泌される未来が見えるが…ただ、好奇心の方がやはり、勝っている。
謎の発見:手書きだとなんか詩的になる説。

ところで、僕は手書きで文章を書くことは”大嫌い”である。理由は大きく分けて2つあるのだが、それはどちらも中学入学後を境に、強まった記憶がある。
理由の1つは、手書きの字が汚いからだ。褒められたことは勿論1度もなく、一方でその汚さ・雑さを指摘されたことは、数百回はあることだろうと感じる。
もう1つは、タイピングを覚えたためだ。こちらの方が何倍も速く文字を出力できるのに、わざわざ手書きで文章を書く意味は無いのではないか?
そう思っているので、僕は手書きをまずやらない。だから生徒にも指摘されたのだが、僕は「中学生の頃から字のクオリティが1㎜も成長していない」のである。
唯一の例外は、頭の中が散らかったときに行う筆記開示くらいである。そして今日も、たまたまだが、それをやっていた。テーマは【禁酒】だ。
最近、感情の乱高下が連続するようなイベントが相次ぎ、600mlくらい残っていたはずのウィスキーが、2日で空になってしまった。二日酔いにもなった。
このままでは僕は、「好きなもので己を殺してしまう」。そう思ったので、また酒を封じるべく、それを邪魔する想念を全て書き出してしまおうと取り組んだのだ。
―すると、出来上がったものがすごく不思議なものになった。多分直前まで聞いていたラップの影響を受けただけなのだが、ずいぶんと詩的な内省になったのだ。
普段の文体や観点とはまた異なる文章。気恥ずかしさも多少あるが、それ以上に「俺ってこういうのも書けるの?」という発見の喜びの方が圧倒的に大きい。
ということで、何を書いたか、ちょっと紹介してみる。尚、推敲は一度もしていない。(推敲がめんどくさいのも、手書きが嫌いな一因だ)
なぜ毎晩飲むのか?
惰性だと解ってる
翌朝の後悔も知ってる
依存ではない―禁酒は簡単さ
止めようという意思があればいい
酩酊は何をくれる?
逃避をくれる―それでいいのか?
結局逃げ切れやしない
酔った己を見てどう感じる?
あの頃の方が夜を有意義に使えてた
退屈を許せなくなった現在はむしろ
退化だー三十五年の人生で何を学んだ?
たまにはいいさ、要ると思ったら口にしたらいい
それが毎日であることはデタラメだ
酒に溺れるほど日々は辛辣でもなければ
お前は追い詰められてもいないじゃないか
正直、作曲AIを使って曲にしようかなとも、ちょっと思った。それくらい、ロクに理解はしていないが、なんかラップの構文っぽくなっている。
この文章もまたChatGPTに分析してもらったのだが、これはまたこれまでとは違うタイプの文章で、いうなれば「自己対話と独白型」とでもラベリングできるそうだ。
さっきも書いたが、僕は昔から自分の感情や思うことを主観で書くのが苦手‥というか、そういう姿勢がそもそも自分に搭載されていないと思っていた。
だが、手書きにして内省をすると、僕独自のフィルターは通ることになるが、内面・感情の吐露が自然と行われているのを感じられた。これは面白い発見だ。
アウトプット一つとっても、その手段によって出てくるものは変わる。自分のことなのに‥というより、自分のことだからこそ、飽きがこない遊びを見つけたと思っている。
では今日はこの辺で。