最近発売された龍が如く極3という、過去作のフルリメイクのゲームを遊び終えた。今から15年以上前に没頭した作品が蘇り、それ以上の進化を遂げていたと思う。
特に自分に刺さったのは、今回のリメイクを通じてストーリーが追加された、とあるキャラの深堀だ。彼の人生をテーマにしたであろう挿入歌の歌詞に、胸を打たれたのだ。
https://lyricstranslate.com/en/yakuza-kiwami-3-ost-sand-castle-japanese
彼が何故そういう選択をしたかの背景や、圧倒的な力を持ちながらも、そこに至るまでの日々には数多の修羅場と絶望があったことが描かれている。
jukukoshinohibi.hatenadiary.com
―実を言うと、度々記事にしているように、僕は最近、素の自分の感性に無条件で従うことに、疲れてしまっている。このままでは、また”守れなくなる”気もするのだ。
ここに書かれているリーダー論は確かに秀逸だ。それは否定しない。だがこれを僕は素の自分に注入するのではなく、これを基に別の分人を構築しなければと思っている。
いささか動機が変わったのだが、しっかり読み進めたい、読み取りたいという意志は変わらない。だから今週も丁寧に、読み進めていく。
- 3月2日(月) 自分が魂を込めて伝えたいことは何か。
- 3月3日(火) 助けられない人は終わる。
- 3月4日(水) 行動そのものではなく哲学を真似る。
- 3月5日(木) 既存のルールのなぜを考える。
- 3月6日(金) 自分というキャラを動かせ。
- 3月7日(土) 対症療法ではなく根本を治す。
- 3月8日(日) 貢献感が、つまり幸せ。
3月2日(月) 自分が魂を込めて伝えたいことは何か。
過去何度も読んだ本に、【TED- 驚異のプレゼン】という大著がある。発表そのもののスキルを高めたくて、前職のときに買ったやつだ。
その時は、どこか雲の上の世界の論理をただ見ているだけという感じだったのだが、この塾講師に就いてから読み返すと、目に留まるフレーズがやはり異なる。
冒頭では、「あなたの心を震わせるものは何か」みたいなことの問いかけから始まっていた。初めて読んだときはいきなり精神論かと鼻白んだが、今は別のことを思う。
伝えたいものがない時点で、伝え方を学んでも無駄だということだろう。そういう言う意味で僕は、冒頭から先に進むことがなかなかできない段階ということになる。
実はしばらく読んでいなかったのだが、5~6回目の再読、そろそろ乗り出そうかな。
3月3日(火) 助けられない人は終わる。

支えやファンのある限り、その企業や人が何を始めて何を売ろうと、成功率はとても高い。
この話は確かに、と思うが、反例も山ほどあるだけに、僕はこれを信奉することには慎重でありたい。
1つのことで突き抜けているのに、他の何をしてもハネない。そんな例は昨今、インフルエンサーによく見かける。
その人たちの足を引っ張る勢力の影響もあるだろうが、実はファンはいなかった、という構図なだけかもしれない。
【夢と金】で言語化された【ファン】の正体、また読んで学ぶ時期かな、と思う。
3月4日(水) 行動そのものではなく哲学を真似る。

一番手っ取り早い上達の道は何かというと、「真似る」ことだとよく言われる。これを学習の最初に置くべきだ、という起業家や社長も多いように思う。
だが、彼らの水準は、単なる表面上の真似(アウトプットの再現)ではなく、徹底的に、何なら思考プロセスごと真似るほどのレベルに至っている。
公式だけでなく、その導出プロセスまで理解し暗記したうえで数学に挑む人と、そうでない人とでは、最終的なアウトプットに大きな差が出るのと似ている。
相手の規範や哲学ごと真似るにはどうすれば良いのか。生体解剖の刃を己に向けた三島由紀夫氏のような覚悟を持って、相手を観察することなのかなと、ふと思った。
3月5日(木) 既存のルールのなぜを考える。

【ヤバい経済学】でも触れられていた話だが、常識というメガネを外す訓練の一つとして、既存のルールや制度の目的を意識する、というのがある。
例えばなぜ清掃は大事なのか。なぜ机の上に物が出しっぱなしなのは良くないのか。なぜコンビニの雑誌コーナーは窓際にあるのか。そのいちいちを問うていく。
すると、その根っこに当たる観点に行き着くことがある。例えば前者二つは、そもそも美意識さえない事務所など顧客から信頼されないから、ということになる。
また、それらを放置していくと、あらゆることが”ナァナァ”になり、気づけばサービスの質の低下、不徹底を招き、顧客からのクレームが飛ぶ羽目になる。
ちなみにコンビニのやつは、店内に人がいることを周知させ、誰も居ないから入りにくい‥という心理的な抵抗を減らすため、らしい。
あらゆることは、基本的にロジックで成り立っている。そしてそれが存在しない形骸化した慣例は、また別の、本来の目的を果たせる行動に置き換えればいいのだ。
3月6日(金) 自分というキャラを動かせ。
この章を読んでいてふと思い出したのが、【物語思考】という本だ。実際にこれを読みながら、途中で出てくるワークも全部やったのだが、それに似た内容があったな、と。
自分がなりたいキャラクターを、まずは自己分析を経てから密に設計し、それに沿った行動を取っていくことで、理想に近づいていく。
すると不思議なことに、「こういう価値観の人はこういう言動はしない」といった風に、キャラクター目線で行動の良し悪しが判断されるようになってくるのだ。
これはある意味究極のメタ認知であり、僕が至りたい場所そのものだなと、今は感じ入っている。
3月7日(土) 対症療法ではなく根本を治す。

優れたコーチや医師は、観察力がずば抜けている。もっと言えば、目の前の出来事・現象の構造に意識を向けることができる。それが卓抜の必須条件のように、僕は感じる。
ある個所に痛みがあるとき、その痛みを取り除くことは勿論大事だが、何がその痛みを生じさせているかまで考えて指摘できる人こそ、まごうことなきプロである。
逆に言えば、目の前で起きていることの火消しに終始するようでは、どこまで行っても二流止まりなんだと思う。微差が積み重なり、大差となる好例ではないか。
僕はきちんと、あらゆるものの根っこが見えているだろうか。言われたことをただやるだけのマシーンになっていないだろうか。
この自問自答が、僕が欲してやまない”自分に対する厳しさ”に繋がることを、僕はずっと願っている。
3月8日(日) 貢献感が、つまり幸せ。
皆や憧れの人と同じ世界を見る。同じ行動をする。同じ発言をする。そういう風にしてフォロワーは増えていく光景を、僕はよく見かける。
それは健全な方に作用すればただの”推し活”なので個人の趣味だと思うのだが、それが例えば扇動や搾取に振り切れると、問題になっていくのでは、と思う。
そこまでしてなぜ、人は自分を捧げたいのだろうか?他人と同一化したいのだろうか?その答えを明確に示したのは、実はアドラー心理学だったりする。
人の真の幸福とは、共同体に貢献しているという感覚を持つことにある。この指摘を、初読当時は「へー」という程度でしか受け止めていなかったが、真理だなと今は思う。
人々に幸福のツールを上手に提供できる人の輪郭がまた一つ、見えてきたような気がしている。正しいかどうかは、まだわからない、とはいえ。
では今日はこの辺で。