僕は我ながらよく「不安」を覚える。杞憂という言葉の故事成語を読んでいると、あそこまで程度ははなはだしくないものの、その気持ちは正直、理解できる。
実際今も、合格発表の結果が発表されたり、またあるいは明後日発表されたりで、僕の心の中は不安でいっぱいだ。そしてそれが周期的な頭痛のように、ズキズキと脈打つ。

もちろんこういう不安は抱くのが人間だと思うし、生徒に対し要らぬメタを与えてはいけないことから、別に表出させてもいない。徹底して自己観察し、それに留めている。
そんな折、僕が強く”不安だ”と感じるものには大きく分けて2種類あるのに気が付き、そしてそれぞれは性質も対処法も、似ているようでまるで異なるようなのだ。
今日は正直何千年も前に哲学者が気づいていたであろうことを、僕なりの言葉で、説明してみたいと思う。
準備不足が原因の不安。

まず、”圧倒的に御しやすい”のは、シンプルな準備不足が原因の不安である。僕自身、今日はちょうど、これに苛まれていた時間があるので、対策も添えて書いてみたい。
この日を初日として別校舎に移動することになったのだが、いざ当日になると急に、”漠然とした色々な不安が自分の中に立ち込めてきて”、すごくソワソワしている。
どんな子が、何人来るのか?教室の雰囲気はいかがか?というのも気になったが、それに先んじて、つまり着いたらまず何をしなければならないのだろうか不安だった。
だから紙とペンを手に取り、到着した後の流れを丁寧に筆記開示した。この時間に入る、生徒が来る、必要な書類はこれなのだから、準備をしておこう。
となれば、これがある場所を聞いておかねばいけないな。そもそも、現状の生徒に何をどこまで配ったかも、把握しておかないとまずい気がしてきた。
そういう風にして浮かんできた項目を手短に纏め、LINEで尋ね、得られた返答をもとに、また準備を進めていく。そして、できることがあらかた終わると、不安は消えた。
三島由紀夫氏も何かのインタビュー的なもので述べたそうだが、こういうクオリティを上げるタイプの不安はむしろ、積極的に活用するべきだと、僕もそう思う。
準備不足による不安は、徹底的に向き合えば、それを解消する行動を思いつくことが特徴だ。そして、その特徴が”無いこと”が、もう1つの不安の最たる特徴なのである。
その結果を知りようがないことへの不安。

もう一つは、いくら準備をしても、推測をしても、”そのときにならないと結果がわからない”ものに抱く不安だ。これは試験結果こそが、非常にわかり易い具体例となる。
当日の手応えを考えると、イケた気がする。だが、周りの受験生の方が高い自己採点の結果を口にしている。そう考えると、ミスが目立つような気がしてきた。
しかし内申点が十二分にある手前、多少の失点は大した影響にならない。それに、自分より点が高い奴ばかり200人もいるとは思えない。
しかし、試験本番には魔物が居るという。自分も知らない間にそれに吞まれたのではないか?ただ、ここまでの模試の結果はずっといい感じで伸びてきていた…。
こんな風に脳内問答はエンドレスに、そして複雑さと脅迫観念を増しながら、頭の中で膨らみ続ける。それが解消されることは、結果が出るまで、絶対に無い。
僕自身も大学受験の頃、その手応えが本当に微妙だったことから、自分が不合格である未来ではなく、結果が判らないまま待たされる日々が、本当に苦しく辛かった。
当時のことを友人に尋ねてみると、「あの頃は感情もなく、話しかけても上の空で、口を開けば『ダメかも‥怖い‥』ばかりで、見ていて危うかった」のだという。
それくらい当時は心の全てをこの不安に支配されていたのだが、今は逆に、その当時のメンタリティを想像することの方が困難だ。なぜならとっくに結果は出たからだ。
この不安に関しては、その答えが得られる瞬間まで、絶対に消えない。これは断言する。だから必要なのは、対症療法だと思っている。
頭に立ち込めるたびに筆記開示したり、あるいは周りに人がいない状況なら、独り言をすることで整理したり。そうやって、扁桃体の暴走を都度、ケアするしかない。
不安に対するプロの意見も得てして、「いかにして、その対象が存在したままでも、気を逸らすかにかかっている」というものが大半だ。受け身もまた大事な技能なのだろう。
今後もまず、不安を一言で片づけるのではなく、「どっちのタイプだろうか?」くらいは冷静に分析し、それから手を考えてみたいなと、改めて思い直した。
では今日はこの辺で。