齊藤一人氏の著書を読んでいると、「自分が成長していると、仕事は年々ラクになる。そうじゃないとしたらおかしいんだよ」という教えをちょこちょこ見かける。
竹も、その成長で一番しんどいのは最初の節をぶち抜くまでであり、そのフェーズを超えたらぐんぐん伸びる一択である、と。仕事論も、それに似ているようなのだ。
これについて、実はずっと、眉唾だった。俗的に言えば僕も出世をしたことになるのだが、結果、仕事はこれまでの何段階もタフになった。責任も、作業量も、だ。
休日の数は、迂闊に書いたら労基が来そうな有様なので憚られるし、どれだけツールをや頭を使っても、毎日出社から終業まで、やることがパッツパツなままである。
「これは決して、ラクになったとは言えないのではないか?だとしたら自分は間違っているのではないか?」と、正直不安だった。何か落とし穴に落ちているのでは、と。
ただ、もっと広い目線で捉え直すと、ある意味で僕は”ラク”に仕事ができている面もあると、そう思えてきてもいる。今日はそんな黒めの話をしたいと思う。
実はこれこそ、望んでいた働き方かもしれない。
僕が働いていて”一番つまらなかった”時期は、特に【自分に裁量もないのに責任と義務だけ負わされていく構図】がとても嫌いだった。
その構図は色々あって突然終わりを迎え、引継ぎもいわば適当なままにこうしてこの立場を引き継いだことになる。自分が欲しかった裁量を得たのが、今なのだ。
そしてそれを得た”結果”、僕がしたかったこと・改善しなければいけないこと・長として責任を負うべきことが一気に目に映るようになった、という印象なのだ。
まだまだ望むクオリティの指導に到達していない。ならばしっかり鍛え続けねば。まだまだ理想の校舎の雰囲気を醸成できていない。ならば率先垂範を徹底せねば。
広報活動だってまだまだガッツリやりたい。仕事が終わって、手が空くのは、なんか機会損失に見えてきて、非常に落ち着かない。
でも、自分以外の人間が疲弊するのは看過できない。人員配置・調整もまた僕の仕事なのだ。僕はまだ休日は要らない。では代わりに他の人のオフを重視してあげよう‥。
こういったアレコレを、僕は結構”本心”でそう思い、そして実際にそうしてしまっている。したいことがもう、プライベートの方に存在しない、というか。
先の”面白くなかった時期”において、僕の休日数は、実は”多かった”。週休1日は絶対にあったし、週休2日が2~3回ある月も、普通にあった。
今は僕が僕の時間をどう扱おうが誰も何も言わないので、好き放題している。授業の依頼が来たが、休日以外組めそうもない。なら休日に組んでしまえばいい。
結果として週休1日が普通になったし、30日以上突っ走ることも珍しいことではなくなった。だが、だからと言って、休みがめっちゃあった頃が”恋しくもならない”。
この2つを選べと言われれば、ぶっちゃけ過去の働き方の方がよっぽど嫌なので、今の滅茶苦茶な働き方を絶対に選ぶと、我ながら思う。
そう思えば、”精神的な引っ掛かり・もどかしさ”という点からは、実は今の方が圧倒的にフリーである。だからこう考えると、確かに今の方がラクだ。
最近読んだコーチングの本にも、似た例があった。「休みが取れていないからその辺りをケアしたい」という依頼をしてきた起業家とのセッションに関する話だ。
一緒に話をしながら作業・業務を整理し、休日を〇日取るといった目標を立てながらも、その人は”空き時間があるなら働きたい”が拭えず、それがとん挫したのだという。
つまり、言語化して目標を走らせて初めて、その人が本当にしたいことは休日の取得ではなく、事業をガンガン回すことだと解ったという、そんな皮肉な話なのだ。
それに関して言うなら、どうやら僕もそうだったようだ。確かに…今思えば今の方がラクだ。あの頃の方が休日が多かったことを踏まえても、だ。
これを肯定していいものかどうか悩ましいが、現時点では”否定する理由がない”ので、このまま進めようと、そんなことを思っている。
では今日はこの辺で。