最近あんま聞かなくなったが、「チル」という言葉が流行っていた。これは英語で「落ち着く、リラックスする」を意味する「Chill out」のカタカナ表記だろう。
その頃(というよりその前から)、”自分を大事にしよう!”という論調もまた、大バズ利していたように感じる。いわば巨大なブームになっていた印象だ。

ワークライフバランスも、ホワイト企業信奉も、アウトドアブームも、全てはこれらのニーズに応える形で人気を得たものである…というのが僕の見立てだ。
その上で水を差すようだが…僕はこれらが下火になり、いわば”当然の権利”として受け入れられつつある今においても、これらの論調に全然賛同できない。
ただしこれは、周囲にそれを押し付ける類の物ではなく、自分に対して採用する考え方としては抵抗が強い、といった意味だ。
この考えはむしろ、僕の周りにいる人たちは積極的に採用する方が良いと思う。だがそれをそのまま僕に移植すると、それは拒絶反応を起こすのではないか?
ということで今日は、過去何度も書いた話に似ているのだが、やっぱり自分に相容れない「自愛」について、思うことを書いてみる。
自分に優しくしている自分がキモくて仕方ない。

やや悪意があるが、僕が思う「自分を大事にしている典型行動」を取っている自分を想像すると、実は猛烈な嫌悪感を覚えてしまう。
例えばオフの日を他の仕事よりなにより優先して取得し、それを死守することもそう。お風呂に浸かりながらパックをして「まぁ、色々あったな~」と思うこともそう。
偏見が過ぎるのだが、これは正直、自分で自分を徹底的に甘やかしているだけという風に思ってしまう。そしてそれに似た意見は、ネットのあちこちで、実は見かけた。
褒められた際に猛烈な違和感を覚えたり、成功体験は惰性で何かをクリアしてしまったと解釈したり‥。そういう自分に”厳しい人”の思考に、僕は賛同する。
そして当人として思うことなのだが、正直自分に対する褒め言葉や自己肯定感を高める心構えの全てが、どこか僕にとっては毒のように作用する。
惰眠を貪るより、筋トレしている時間の方が遥かに有意義だし、甘いものを食べて多幸感に浸るより、自分で30分程かけて作った、凝った料理を味わう方が心が落ち着く。
常に何事も、”自分を甘やかす方向から遠ざかるように、遠ざかるように”行動・思考を選んだ方が、結果として満足感も高く、嫌悪感を覚える機会もめっちゃ減るのだ。
自分を大事にしようという主張自体は、確かに客観的には尊いと感じるが、本当にそうしなければならないほど必死に神経張っている人は、少数派なのではないか?
宿題を頑張ったんだから、おやつがあって当然だ。そういう物言いと同じニオイがするし、そんなことを口にする人間に堕した自分は、想像するだけで吐き気がする。
人はこういう姿勢をストイックというのだろうか。僕はその言葉は適していないと思っている。自分のだらしない・欠点の部分を認められなくなっただけだと感じている。
僕はもう、潔癖症のようなものなのだ。そして、自愛とかそういったものを表面上で解釈して移植した先に待っているのは、完全に堕落した自分でしかない。
正直僕自身、性根はすごく怠惰なのを自覚している。だからこそ、その本性に呑まれたくないのだ。一度でもそちら側に心を許すと、もう戻ってこれない気がしている。
受験勉強に疲れたからと、1日のオフを自分に許すと、そこからは崩れて学習を放棄することにもなりかねない。だから継続はマストである。あれと全く同じことだ。
僕は別に、人が休んでいるときに頑張るから差がつくとか、冷笑の対象になりそうなことを言いたいわけじゃない。
世間が言うくらい自分を大事にした結果が、想像するだけで非常に気持ちが悪いっていうだけなのだ。これは純粋な感情だからこそ、ストレスなく受け入れられている。
他にも噴出させたい闇はあるが、キリがなさすぎるので、一旦ここで終わりにしておくことにする。では今日はこの辺で。