WHYを突き止めようとすれば必ず行きつくのが、過去の自分が残した記録だ。自分事としても感じるが、ルーツというのは恐ろしいほど早くから始まっていることが多い。
自分が14歳とか15歳の頃に書いた文章がある。すごく恥ずかしいという気持ちを抱くのだが、同時に、「今の自分が持っている価値観が既にある」ことが分かることが多い。
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だからこそ、大人になり、”社会的に好ましい”とされる観点という濁りを得た今素晴らしいと思うものより、子供のときに好きだったことや時間の方が、示唆に富むのだ。
自分は純粋に何を愛していたか。世界を観て、何を感じていたか。残念ながらそのデータはほとんど残っていないのだが、それを読みつつ、色んなことを考えている。
この本と、その資料を基に、「僕を象徴するもの」に辿り着きたく思う。では以下、本題をば。
- 3月16日(月) ”感情”を抱かれた者勝ち。
- 3月17日(火) 絶対的な答えはないからこそ…。
- 3月18日(水) 健康ってなんだ?
- 3月19日(木) セロリ・テスト。
- 3月20日(金) 僕流セロリ・テスト。
- 3月21日(土) セロリテストに落第せし者。
- 3月22日(日) What does "UTSUWA" mean?
3月16日(月) ”感情”を抱かれた者勝ち。

ファンビジネスを体現している組織へのイチャモンは、決まりきった文言に集約される。「カルトみたい」「宗教だ」といった風に。
逆に言えば、たとえ一部に鼻白まれようとも、「そこが好きだ」し、「そこが好きな人と繋がれているならどうでもいい」と思われる場所こそ最強なのだと思う。
賛否両論こそあるべき姿であり、この世で自由でありながらも求心力を強く持つ方々は確かに、”賛否両論”を狙って設計していると思えるような言動が目立つ。
僕にそれを創る覚悟・胆力・タフさがあるだろうか。主観的な感想ではあるが、いずれも不足しているとしか思わない。
3月17日(火) 絶対的な答えはないからこそ…。

ビジネス書に意味はあるか否か。僕は、知識としてはあると思っている。だがそれをまんま答えとして、自分の目の前の状態に当てはめるのはナンセンスだとも思う。
公式を学ぶことに意義があるとしても、回答の丸暗記に意味が無いのと似ている。必要に応じて公式の方を調整する力が無いと、文字通り持ち腐れなのではないか?
とはいえ、自分の頭で”のみ”考えて出す結論が、純粋ゆえに素晴らしいとも思わない。それが機能する人は、一握りの天才だけなのだ。
絶対的な答えはないからこそ、公式のようなものを学び、使い続ける。今の世を渡る大切なヒントだと思う。
3月18日(水) 健康ってなんだ?

身体にいいものなんてのは、無限にある。だが、万人に良いものとなると、どこか幻想のようにも思う。
100年前にはラジウムを飲んで元気になった人がいたという。今それをしようもんなら、背筋が凍る話だ。
健康法1つ取っても、そこに自分なりのフィルターや考えが無いと、ただ流されただけという印象は否めない。
健康という括りも抽象的なものだ。頭を使うことは、これからもサボらず続けたいと思う。
3月19日(木) セロリ・テスト。

周りの意見を聞いて、参考にしたいとするとき、筆者が用いると良いと言っていたテストがある。それは【セロリ・テスト】なるものだ。
正直何故にセロリなのかは割愛するが、ここでは自分が採用したい意見をバーっと並べたうえで、こう自問自答すると建設的、とあった。
「この手法を採用した際に、自分はどうみられるか?そしてその見られ方は、自分の在りたい姿の体現になっているか?」
例えば「学習塾 売り上げ」とだけ調べれば、ごまんとその方法論は出てくるが、それらの内「自分がそうありたいもの」に限定すれば、きっとかなり絞られるだろう。
それらを集めると、意外と共通点があったりする。”なんとなく”、この人の人となりが見えてくる、ということだ。この曖昧さには明瞭な芯がある。いい考え方だなと思った。
3月20日(金) 僕流セロリ・テスト。

では、僕流のセロリテストとして、何から始めるか。それについて、相反するようだが、2つの観点であれやこれやと取り組んでいることがある。
まず、職場において、僕の私物を排除することだ。生徒から貰ったとか、特別な物語が無い限り、これは僕の個人的な私物だと思うものは、持ち帰るようにしている。
職場はあくまでも公共の場だ。モノで我を出す必要はない。そう思っているので、”学習塾らしくないもの”は、次々と取っ払っている。(人には押し付けないけど)
そして家においては、”僕が持っていても違和感がないもの”を残し、そうでないものは結構ポイポイと、平気で捨てるものとしてカウントするようにしている。
何も考えずに買ったタオルとか、箸とか、そういうものまで捨てはしないが、結構体積ある物は優先的に処分し、僕らしいものに置き換えるようにしている。
そうやって自分の純度を上げていくと、気分が不思議とスッキリしてくるのを感じた。特に効いたのは、もう賛同しない内容の本を処分することである。
そこまで数は多くなかったのだが、それを捨てて以来、本棚を見てもどこか釈然としない気持ちを抱くことは無くなった。すごくオススメである。
3月21日(土) セロリテストに落第せし者。

ヴォルクスワーゲンとは元々、「みんなの車」みたいな意味だったという。ただし、正直ラインナップを見ても、あまりそう思わない。
日本から見たイメージがそれだからというのはあるだろうけど、高級車を次々作って送り出す、そんな先入観をどうしても抱く。
……つまり、生み出すものから元来のWHYを連想できない。これはセロリテストの落第を意味する。
演繹ほど厳密なものは要らないが、せめて無理なく帰納はできる。一貫性が大切なことが解る一例と言える。
3月22日(日) What does "UTSUWA" mean?

人生経験に乏しい人は、他人の気持ちを理解できないと言われる。勝者には敗者の、敗者には勝者のそれは解らないのだ。
僕もそれこそ、異性からモテまくる人の気持ちは解らない。だが、そういう人には、僕の気持ちは解らないのかもしれない。
色々な経験を経て、自分の伸びた鼻を何度叩き折ってきたか。器とはこういうものなのだろうか?
今回の章はそんな話が始まりそうなので、なかなかに楽しみだなと思っている。
では今日はこの辺で。