精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

僕は昔から、「主人公並みに強くて、深い過去を持つけど、最後は破れる悪役」にめっちゃ惹かれる。

最近になってYouTubeやnoteで似たことを公言している人を見かけるようになり、「俺だけじゃないんだ!」と安心するようになった、作品に対する趣味嗜好がある。

 

僕は”子供の頃から”、主人公を含む、いわばブライトサイドのキャラクターにほとんど興味を持たない。むしろそれに敵対する勢力に、強い魅力を覚えてきた

 

その最古の例を思い出してみたが、ネタバレになって構わないほど古い作品なので言ってしまうと、【コレクターユイ】の黒川良かな、と思う。(名前は今調べたが)

https://www.personality-database.com/ja/profile/1870993/ryo-kurokawa-corrector-yui-mbti-personality-type


以来、武蔵伝をすればウォッカ大佐が好きになり、ガッシュを読めばゼオンがやたらと心に刻まれた。龍が如くで言えば峯義孝や錦山彰がやっぱり好きだ。

 

これらの共通点を考えるなら、「主人公並みに強くて、深い過去を持つけど、最後は善戦に終わる」というところだろうか。ただ、どれが欠けても、僕はときめかない。

 

FFⅩのガチのラスボスは最初のを満たさないし、マリオRPGのラスボスは真ん中を満たしていない。(わざとだろうけど)その辺りは結構一貫する指標がある。

 

幼少期から一貫するこの珍しい価値観、掘り下げてみれば面白い何かに行きつくかもしれない。そう思ったので、以下、その記録をつらつら書いてみよう。

 

 

限界でも己を貫き切った姿にシビれる。

 

こういう原始的な感情は、頭で考えてもなかなか難しいものがある。だから原体験になり得る思い出や出来事を振り返りつつ、何か抽象的なものを探していきたい。

 

ということで色々な経験や、それぞれの感想をChatGPTに放り込んで、それを整理すべく、一定数のラリーを重ねた。すると、曰く「一貫する哲学」が見えるらしい。

 

先の条件を持つ悪役とは、過去の様々な経験から、たとえ「歪んでいる」と揶揄されようともその人の信念や矜持を抱き、必死に自分を鍛えてそれを貫いた者を指す。

 

そして主人公をあと一歩のところまで追い詰めながらも、最後まで戦い抜いて散る姿に、僕はどうやら「意地を終わりまで貫いた」という美学を感じ取っている、らしい。

 

昔から生き様より死に様・散り様という言葉に憧れていたが、そこにも繋がる僕の想いみたいなものが汲み取れて面白い。幼少期から僕は良く”終わりたかった”のだろうか?

 

このChatGPTでは、面白い問いもあった。「あなたが好きなキャラクターが、死闘の果てに、ギリギリで勝った際は、何か印象が変わりますか?」というものだ。

 

僕の回答は、「やっぱり敗北した側が気になりますね」というものだった。僕は一貫して、”貫き切って果てること”が好きらしい。これは何願望なんだろう?

 

最後まで意地を張り、鍛えぬいて強さも得て、それでも満たされない空虚さを抱えながらも、矜持の先で主人公と衝突、その果てに打ち破られて地に臥せる・・。

 

なんて”カッコいいんだろう”と思う。30歳を過ぎて久しいが、こういう死力を出し切ってもあと一歩のところで届かないという経験をしたいと、実は本気で思っている

 

―というより、前の記事でも書いたが、僕はやっぱり人生最後のオセロをさっさと打って、人生そのものをいい形で結び、幕引きにしたいだけなのかもしれない、と思う。

 

これ以上責任や、僕の存在の名残みたいな人間を遺さず、40歳くらいで死ぬと勝手に定めて、伏線回収をしていかないと間に合わない気もしている。

 

そう思うと、なんか急に焦りを覚えてきた。だけど、なんかイキイキと人生を歩めそうだという、そんな逆説的なことも感じつつある。では今日はこの辺で。

 

 

 

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