精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

初心とはすなわち、「人のモノを預かる気持ち」ではないか?

「慢心を戒めるべし」というのは、何千年も前から繰り返し登場する教えだ。それは裏を返せば、何千年経っても矯正できない、人類そのもののバグなのかもしれない。

 

例えば天狗の鼻とか、似た言葉はいっぱいあるけれど、大体どれも「全てのエラーは自分の中に生まれた慢心がきっかけになっているものだ」というオチではなかろうか。

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免許を取って半年後に事故をする人が多いとか、それのわかり易い具体例だろう。初心の頃にあった緊張感が抜けた結果、そういうバグに繋がる、と。

 

とはいえ初心の頃にあった緊張感が当時のままいつまでも残っていたら、それはそれで”カタい”ので歓迎はできない。大事なのは、押し引き出来るかどうか、だろう。

 

では、意識的に、初心の頃の緊張感を思い出すにはどうすればいいのか。それについて一つ、ヒントになりそうな心掛けを思いついたので、今日はそれについて書く。

 

 

初心のときに忘れず持っていた観点。

 

いわゆる”初心”のときに持っていた意識は何だろうか。なるべく客観的な意見も読みながら、ここに整理してみたいと思う。

 

まずパッと浮かぶ表現は、「とにかく丁寧に行う」とか、「ぎこちない」とか、そういうものではなかろうか。これは同じことを、良く・悪く言っているだけにも聞こえる。

 

あるいは、「全てにおいて腫れ物に触るかのように扱う」といってもいい。犬を飼い始めた人が、おっかなびっくりその世話をするのと似た構図である。

 

これらを堅苦しく紐解くなら、”自分の手が届く全てに、教わったことを使おう・守ろうという意識を向けながら取り組む”ことになるのかな、と感じる。

 

踏切の前で一時停止して、窓を開けて確認する。まずは上体が前に突っ込まないようスイングする。生徒に私的なことは一切言わないよう意識しながら進める。などなど。

 

こういったことは確かに心構えとしては重要だが、それは”意識的に”ではなく、”無意識下に刷り込まれて、自動的に発動する状態”になって初めて生きてくるものだ。

 

そしてそれらを半年くらい繰り返すと、段々意識しなくても実行できる・認識できるようになってくるのだが、それらは大体、何かが抜け落ちた状態で刷り込まれる。

 

その結果、例えば一時不停止で切符を切られたり、ヘンなスイングの癖になって特定の苦手なコースができたり、生徒に余計なことを言ってクレームになったりするのだ。

 

その都度反省し、再び無意識下の行動を意識のもとに引っ張り上げて、潜在意識の改革を図る。ただそれがまた無意識化してくると、バグが表面化し・・・。

 

これ自体に、「丁寧にやれ!」とただBe動詞の命令文みたいなことを言っても、僕は意味が無いと感じている。なぜならほとんどは当人が無意識にやっているからだ。

 

もっと具体的な行動か、あるいは現状をもっとイメージしやすくなる意識のフィルターを通すことが、もっと現実的な修正方法だと思っている。

 

ということで以下、僕なりに考える、この初心を”いい塩梅で”取り戻す方法について述べてみたいと思う。

 

”馴れ”をイメージの力で意識的に排除できるのが達人か?

 

ここまで書いてきて急にふと【具体例】が浮かんできた。それはいわゆる達人とされる人たちの思考・言動だ。

 

特に武術においては顕著だろうが、何かにおいて秀でるを通り越して突き抜けた人たちは、通り一遍の鍛錬や考え方を、”していない”ことの方が多い。

 

例えば酔拳のトレーニングシーンが有名だと思うが、達人が弟子に強いる訓練は全て、彼らなりに理に適ってはいてもすごく独創的で、猛烈に厳しいものばかりだ。

 

となれば、”基本に忠実”というより、自分が理想とするもの、追求したいものに到達するために、基本所作をオリジナルにカスタムしているという方が正確な気がしている。

 

これは、上達・熟達を阻む”馴れ”を、絶対に引き起こさないためのシステムではなかろうか。それを本能的にかぎ取っているからこそ、達人の訓練は独特なのだ。

 

これを応用すると、自分が普段やっている仕事がマンネリ化したとき”こそ”、スパイスとして新しいことを取り入れることで、新鮮味を失わずに済むのではなかろうか

 

例えば「そうする必要は無くとも」、書類の保管場所を変えてみる、と言った風に。定位置になっているものを意図的に変えて、自分のメンタルがどう変わるかを観察する。

 

これだけでも随分、「おざなりな管理」から遠ざかるように思えてくるのだが、どうだろうか。達人こそ遊びを忘れないのなら、遊びを忘れたものは凡夫に過ぎないのだろう。

 

それくらいシビアに、そして真面目に”遊び”に向き合い、ランダム性や変化を狙って起こし続けることが、僕なりの”初心を忘れない方法”なのかもしれない。

 

では今日はこの辺で。

 

 

 

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