今日は我ながら久しぶりに、出社して早々その冒頭からめっちゃイライラした。自分の中にこんな攻撃性があったのかと驚くくらいカリカリし、抑えるのが大変だった程だ。
何があったのかというと、簡単に言うなら向かう先々で狙ったかのような妨害を受けたことである。(それこそマーフィーの法則みたいな出来事の連続だった!)
職場に向かっていれば、”聞いていた時間とまるで違うタイミングで工事が入っていて”、駐車場に停められずに右往左往。慌てて移動した有料のところも今日は満車。
仕方なく、無理やり狭いスペースに、擦ること覚悟で停めて、なんとか出社はできたが校舎のWi-fiが死んでおり、事務作業の大体が着手できずに青筋が立った。
冷静になろうと冷蔵庫を開けたら水が一つ残らず空になっており、パソコンを立ち上げればアップデート後の七面倒なセットアップ画面が起動し、すごく怠かった。
定刻の30分前に次の校舎へ移動をしてみれば、生徒の来校と全く同じタイミングであり、着くや早々軽い謝罪と即座の授業。全くしたいことができないまま時間が過ぎる。
あれもこれも、腰を据えて処理したい。でもそれが叶わない。正直かなり感情的になってしまい、それはそれで反省なのだが、転んでもただで起きるのは嫌だ。
シンプルな不運であれば「仕方ない」と受容するのが正しいのだが、今回はなぜかどうにも咀嚼しきれない違和感をずっと覚えている。
それは何なのかを考えると、なんてことなく、ここ最近の記事でずっと考えていたテーマと全く同じ話だった。今日はそれについて持論を深めていこうと思う。
”丸投げ”によって持ち出しになった僕のアレコレ。
先の事例は、実はどれもこれも、事前に報告や連絡があれば防げたり対策できたり、心構えができたりしたものばかりなのだ。それが無いから、僕はすごくイラっとした。
その手間暇は、LINEで1~2行のテキストを送ることくらいではないのか?そのくらいの手間の投資で、僕の無駄な時間・感情・対応・信頼毀損は防げたのではなかろうか?
事前に工事があると分かっていたら、僕はそもそも早い時間に授業を組まなかった。水が無いと知っていたら、出社前にドラッグストアで買っていた。
16:00に生徒が来ると伝えたと言ってくれていたのなら、それに合わせて動いた。生徒を待たせたこと、そしてそれによって失われた僕や校舎への信頼はどうなるのだろう?
・・・Wi-fiの停止や再起動後の面倒な手間暇は別として、それ以外はやはり、誰かのちょっとした心配りで、起こさずに済ませられたはずのことのように感じる。
そしてもっと我ながら興味深いのだが、この思いを吐き出していると、僕のメンタルはどんどん鎮火していく…のを通り越して、すごくゾッとしてきたのだ。
自分が些細な手間を”惜しんで”他人の善意や寛容さに甘え倒すと、その受け手はこんなにも不快なのかと気づいたからだ。(僕がこれに厳しすぎるのは認める)
その人の1の手間で防げたあれこれで、僕は総計10にはなるであろう時間・労力・信頼を持ち出した。その構図がすごく嫌なのだ。嫌悪感と評してもいいほどに。
それを公言するのなら、僕は他の誰よりも、自分が手の届く世界で、誰かが誰かの資本を奪うようなことを容認しないよう、目を光らせなければならない。
そして、それを徹底するための手段がいわば仕組みやルール作りであり、それこそが【校舎長】という肩書をいっちょ前に貰っている、僕の仕事かつ本分なのだと思う。
ボウリング玉を端っこのピンにひたすら当てながら、10投で10本を倒す行為を容認しない。最初からストライクを狙いに行け、ヘッドピンを打ち抜けと、皆に言い続ける。
そして自分がそれを率先する。あるいはそれが自然と果される環境を創り、整え、持続させる。ただイライラした1日だったはずだが、そんなことを追認した時間だった。
では今日はこの辺で。